だれも書かない約束
どんな書きことばにも、だれも習った覚えのない規則がある。日本語の横書きは左から右へ、縦書きは上から下へ読む。アラビア語は右から左へ読む。数学の書きことばにもこの種の規則があり、中には数学の真理のように見えるほど強いものもある。だがそうではない。それは約束、つまりほかのものでもありえた取り決めなのである。
演算の順序 $2 + 3 \cdot 4$ はいくつか。ほとんどだれもが $14$ と答える。まずかけ算、それから足し算。しかし数学の中に、この順序を強いるものは何もない。もし約束が「左から右へ」だったら、答えは $20$ になる。私たちの使う規則(累乗、次にかけ算と割り算、最後に足し算とひき算)は、16 世紀から 19 世紀の代数の本の中で少しずつ定着した。いちばんよく出てくる式でかっこを節約できるからである。$3x^2 + 2x + 1$ のような多項式は、ほかの規則では読めたものではない。
アメリカの生徒はこれを PEMDAS、イギリスの生徒は BODMAS と覚える。名前はちがっても約束は同じで、そこには、ときどき SNS に顔を出すすきまがある。
$$6 \div 2(1+2) = \ ?$$規則を文字どおりに当てはめ、かけ算と割り算のあいだでは左から右へ計算する人は、$6 \div 2 = 3$、それから $3 \cdot 3 = 9$ とする。かけ算が記号なしの暗黙のかけ算なので $2(1+2)$ をひとかたまりとして読む人は、$6 \div 6 = 1$ とする。どちらの読み方にも支持者がいて、科学論文の書式規定の中には二つめを好むものもある。大事なのは、どちらが正しいかを決めることではない。この式が書き方として悪いことに気づくことである。数学者は決してこう書かない。$\frac{6}{2}(1+2)$ か $\frac{6}{2(1+2)}$ と書き、疑問は消える。
ふるまいの悪い記号 $-3^2$。 累乗はマイナスの符号より先なので、$-3^2 = -(3^2) = -9$ である。$9$ を得るには $(-3)^2$ と書く。多くの電卓や表計算ソフトはこの約束に従うが、従わないものもある。 $\sin^2 x$。 これは $(\sin x)^2$ を意味する。かっこを一組節約する古い習慣である。ところが $\sin^{-1} x$ は逆関数 $\arcsin x$ を意味し、$\frac{1}{\sin x}$ ではない。同じ記号の上の同じ指数が二つの意味をもつ。第3章で見たとおりである。 $2a$ と $2\tfrac{1}{2}$。 数と文字を並べるとかけ算を意味する。$2a = 2 \cdot a$。帯分数を使う本で数と分数を並べると、足し算を意味する。$2\frac{1}{2} = 2 + \frac{1}{2}$。同じ並べ方で、二つの演算。 $f(x+1)$ と $a(x+1)$。 前者は関数 $f$ の点 $x+1$ での値、後者は積である。かっこの前の文字が関数なのか数なのかは、文脈しか教えてくれない。 コンマとピリオド ブラジルでは $1{,}5$ は一・五で、$1.500$ は千五百である。アメリカではその逆で、$1.5$ が一・五、$1,500$ が千五百である。同じ書き方 $1.000$ が、ある国では千、別の国では一を表す。2003 年に国際度量衡総会は小数点としてコンマとピリオドの両方を認め、千ごとの区切りには細いスペースを使う、$1\,500$ のように書くことを勧めた。数が読み手の国によって変わらないようにするためである。