Hero Image
ユークリッド流のピタゴラスの定理

直角三角形において、直角に対する辺の上の正方形は、直角をはさむ辺の上の正方形の和に等しい。 — ユークリッド『原論』命題 I.47 ギリシャ人よりずっと前、ナイル川の氾濫のたびに畑の境界を引きなおしたエジプトの測量師たちは、縄張り師 と呼ばれていました。言い伝えでは、等間隔に 12 の結び目をつけた縄を使い、それを三辺 3、4、5 の三角形に張ると直角ができたといいます。バビロニア人はもっと多くを知っていました。紀元前 1800 年ごろの粘土板 プリンプトン 322 には、辺が整数の直角三角形がならび、なかには 3 367、3 456、4 825 のような大きなものもあります。 このサイトの旧幾何学講座は、いちばん簡単な例から始めていました。 $$3^2+4^2=9+16=25=5^2,\qquad 6^2+8^2=36+64=100=10^2.$$エジプト人やバビロニア人に欠けていたのは、この関係が すべての 直角三角形で成り立つという 証明 でした。伝統はそれを紀元前六世紀のピタゴラスに帰していますが、彼の証明は残っていません。私たちがもっている最も古い証明はユークリッドのもので、第一巻の最後から二番目の命題です。(日本ではこの関係を「三平方の定理」とも呼びます。) 風車の証明 $ABC$ を $A$ で直角となる三角形とし、直角をはさむ辺を $AB=c$、$AC=b$、斜辺を $BC=a$ とします。各辺の上に正方形をつくります。できあがった図が風車に似ているので、この証明はその愛称で呼ばれます。アラビアの数学者たちは「花嫁の椅子」と呼びました。 命題 I.47 の図。A から下ろした高さ(点線)が斜辺の上の正方形を二つの長方形に分ける。左の長方形は AB の上の正方形と、右の長方形は AC の上の正方形と面積が等しい。Euler’s Eyes 作図 ユークリッドの考えは、$A$ を通って $BC$ に垂直な線を引き、$BC$ の上の大きな正方形を二つの長方形に分け、それぞれの長方形が小さな正方形のひとつと面積が等しいことを示すことです。証明に使うのは、すでに証明された二つの事実だけです。 I.4:二辺とそのあいだの角がそれぞれ等しい二つの三角形は合同であり、面積も等しい。 I.41:平行四辺形と底辺と高さが同じ三角形は、平行四辺形の半分の面積をもつ。 左の長方形については、ユークリッドは $B$ を頂点とする二つの三角形を見ます。一つ目は、$B$、$A$、そして下の正方形の $B$ の真下にある頂点でできる三角形。二つ目は、$B$、$C$、そして $AB$ の上の正方形の、$B$ のとなりにあって $A$ でない頂点でできる三角形です。この二つの三角形は、$AB$ の上の正方形の一辺と $BC$ の上の正方形の一辺という二辺が等しく、そのあいだの角も等しくなっています。どちらも三角形の一つの角に直角を足したものです。I.4 により、面積は等しくなります。

Hero Image
四つの平方数で足りる

好きな正の整数を一つとって、平方数 $0, 1, 4, 9, 16, 25, \ldots$ の和として、できるだけ少ない項で書いてみましょう。 $$\begin{aligned} 5&=4+1,\\ 6&=4+1+1,\\ 7&=4+1+1+1,\\ 30&=25+4+1,\\ 2026&=2025+1=45^2+1^2. \end{aligned}$$それ自身が平方数のものもあれば、二つ必要なもの、三つ必要なものもあります。7 は四つ必要で、ほかに方法はありません。五つ必要な数はあるでしょうか。1770 年、ラグランジュはないことを証明しました。 すべての正の整数は、四つの整数の平方の和である。 ゼロも平方数に数えれば、これは $n=a^2+b^2+c^2+d^2$ となる $a, b, c, d$ がいつも存在するということです。 十五世紀にわたる予想 250 年ごろ、アレクサンドリアのギリシア人ディオファントスは、ある数が四つの平方数の和に書けることを、問題のなかで説明なしに使っています。1621 年、フランスのクロード=ガスパール・バシェはディオファントスの『算術』のラテン語版を出版し、この主張をはっきり書きました。彼は 325 まで確かめたが証明はわからない、と述べています。 ピエール・ド・フェルマーが有名な書きこみをしたのは、このバシェの本の余白でした。フェルマーは自分の無限降下法で証明したと宣言しましたが、いつものとおり、それを見せることはありませんでした。 オイラーの四十年 オイラーはおよそ四十年にわたって証明を試み、最後までたどりつけませんでした。けれども 1748 年に、いちばん大事な部品を見つけます。四つの平方数の和どうしの積は、また四つの平方数の和になることを示す恒等式です。 $$\begin{aligned} &(a^2+b^2+c^2+d^2)(e^2+f^2+g^2+h^2)\\ &\quad=(ae+bf+cg+dh)^2\\ &\qquad+(af-be+ch-dg)^2\\ &\qquad+(ag-bh-ce+df)^2\\ &\qquad+(ah+bg-cf-de)^2. \end{aligned}$$魔法のように見えますが、両辺を展開するだけです。交差する積はすべて二つずつ打ち消し合います。たとえば $7=2^2+1^2+1^2+1^2$、$15=3^2+2^2+1^2+1^2$ です。恒等式から $$\begin{aligned}105&=7\cdot15=10^2+1^2+0^2+(-2)^2\\&=100+1+0+4.\end{aligned}$$この結果は強力です。どんな数も素数の積です。それぞれの素数が四平方和なら、恒等式によってその積も四平方和になります。したがって、定理は素数について証明すれば十分なのです。 ラグランジュの証明 ここで、1770 年、すでにベルリンにいたラグランジュが登場します。彼の証明は二段階からなり、どちらもフェルマーの降下法の仲間です。 第一段階。 どんな奇素数 $p$ についても、$x^2+y^2+1$ が $p$ の倍数になる $x$ と $y$ が存在します。理由は数え上げです。$x$ を $0$ から $\frac{p-1}2$ まで動かすと、数 $x^2$ は $p$ でわったとき $\frac{p+1}2$ 個の異なる余りを残し、数 $-1-y^2$ も同じです。$\frac{p+1}2+\frac{p+1}2=p+1$ は可能な余り $p$ 個より多いので、鳩の巣原理により、二つのリストのあいだで余りがどこかで重なります。したがって $p$ のある倍数、たとえば $mp$ は四平方和 $x^2+y^2+1^2+0^2$ になります。

Hero Image
ソフィー・ジェルマンの恒等式:素数に見えるものを因数分解する

素数に見えて、そうでない数があります。たとえば 629 は偶数でも、一の位が 5 でも、3 の倍数でもありません。けれども $629=5^4+4$ で、この形が正体をあかします。ソフィー・ジェルマンの名がついた恒等式で因数分解できるのです。 恒等式 どんな数 $a$、$b$ についても、 $$\begin{aligned}a^4+4b^4={}&\left(a^2+2b^2+2ab\right)\\&\times\left(a^2+2b^2-2ab\right).\end{aligned}$$これを見つけるこつは、2 次方程式の解の公式のときと同じ、平方完成です。$a^4+4b^4$ は $a^2+2b^2$ の 2 乗にほとんど等しく、足りないのは真ん中の項 $4a^2b^2$ だけです。その項を足して引くと、 $$\begin{aligned}a^4+4b^4&=\left(a^4+4a^2b^2+4b^4\right)-4a^2b^2\\&=\left(a^2+2b^2\right)^2-(2ab)^2.\end{aligned}$$これで二つの平方の差になったので、$u^2-v^2=(u+v)(u-v)$ で仕上がりです。 例では $a=5$、$b=1$ として、 $$5^4+4=(25+2+10)(25+2-10)=37\cdot17=629.$$素数に見えたもの この恒等式は、無害に見える多くの数が合成数であることを一度に示します。たとえば $n>1$ なら $n^4+4$ はいつも合成数です。$a=n$、$b=1$ とすれば、二つの因数 $n^2+2n+2$ と $n^2-2n+2$ はどちらも 1 より大きいからです。$n=1$ だけは例外で、そのとき二つめの因数は $1$ になり、$1^4+4=5$ は素数です。 もっと意外な例は 2 のべきから出てきます。数 $2^{10}+1=1025$ は $1+4\cdot4^4$ と書けるので、$a=1$、$b=4$ として、 $$2^{10}+1=(1+32+8)(1+32-8)=41\cdot25.$$$2^{4k+2}+1$ の形の数に対するこの種の因数分解は、19 世紀に巨大な数を割るのに使われました。1869 年、フランスのフォルチュネ・ランドリーは 18 けたの数 $2^{58}+1$ を手計算で因数分解しました。まもなくレオン=フランソワ=アントワーヌ・オーリフイユは、ソフィー・ジェルマンの恒等式を使えば最初の分解が一行ですむことを示しました。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。 数学オリンピックの問題 ソフィー・ジェルマンの恒等式は、数学オリンピックでお気に入りの道具の一つです。$4^{545}+545^4$ は素数か、と問う古典的な問題があります。コンピュータなしでは答えられそうにありませんが、この恒等式を使えば、数行で素数でないことがわかります。二つめの練習問題を見てください。

Hero Image
正方形と長方形でする代数

直線が任意に分けられるならば、全体の上の正方形は、それぞれの部分の上の正方形と、二つの部分にはさまれた長方形の二倍との和に等しい。 — ユークリッド『原論』命題 II.4 ギリシャ人には、未知数を表す文字も、プラスやマイナスの記号も、等号もありませんでした。$a\cdot b$ のことを話したいときは、辺が $a$ と $b$ の 長方形 の話をし、$a^2$ のことを話したいときは、辺が $a$ の 正方形 の話をしました。べき乗に使う「平方」や「立方」という言葉はここから来ています。『原論』の第二巻はまるごとこのやり方で書かれていて、面積についての事実として述べられ証明された代数の恒等式でできています。歴史家はそれを 幾何学的代数 と呼びます。 和の平方 引用の命題 II.4 はこう言います。線分を $a$ と $b$ の二つに分ける。線分全体の上の、辺 $a+b$ の正方形は、$a$ の上の正方形と、$b$ の上の正方形と、辺 $a$ と $b$ の長方形二つの和に等しい。四つに分けた大きな正方形の図を見れば十分です。今日の記法では、 $$(a+b)^2=a^2+b^2+2ab.$$学校で暗記する公式を、ユークリッドは 描いた のです。そして証明はその図そのものです。四つの部分が、あまりも不足もなく大きな正方形を埋めつくしています。 平方の差 命題 II.5 は、知られている最も古い『原論』の断片、オクシリンコスのパピルスに書かれていたものです。今日のことばでは、長さ $2m$ の線分をまんなかで切り、さらに任意の点で $m+d$ と $m-d$ に分けると、 $$(m+d)(m-d)+d^2=m^2$$となる、と言っています。これは恒等式 $m^2-d^2=(m+d)(m-d)$、平方の差 です。ユークリッドは、長方形の一部を切りとって小さな正方形のとなりにはめこみ、正方形をつくることで証明します。 平方完成 ユークリッドから千年後の 820 年ごろ、中央アジアのホラズム地方の出身で、バグダードの知恵の館で働いていた数学者ムハンマド・イブン・ムーサー・アル=フワーリズミー が、未知の量をひとつ含む問題の解き方についての本を書きました。その題名には「復元」を意味する al-jabr という言葉があり、それが 代数(algebra)という言葉の起源になりました。著者の名前は アルゴリズム という言葉の起源です。このサイトの旧二次方程式講座は、彼の例のひとつを紹介していました。 ひとつの平方とその根の十倍が三十九に等しい。平方はいくつか? 今日のことばでは $x^2+10x=39$ です。フワーリズミーは、ユークリッドがしたであろうのとまったく同じく、面積でそれを解きました。 x² + 10x = 39 の幾何学的な解き方。一辺 x の黄色い正方形と、辺が x と 5 の二つの緑の長方形をあわせると 39 になる。一辺 5 の赤い小さな正方形が、一辺 x + 5 の正方形を完成させる。Euler’s Eyes 作図 一辺 $x$ の正方形を描く。面積は $x^2$。 「根の十倍」$10x$ を、辺が $x$ と $5$ の二つの長方形に分け、正方形の二辺にそれぞれくっつける。L 字形の図全体の面積は $x^2+10x=39$。 大きな正方形を完成させるには、すみに一辺 $5$、面積 $25$ の小さな正方形が足りない。それを加えると、大きな正方形の面積は $39+25=64$。 面積 $64$ の正方形の一辺は $8$。ところが大きな正方形の一辺は $x+5$ なので、$x+5=8$、$x=3$。 今日の記法では、こうなります。

Hero Image
フェルマー数:予想と反例

数学者たちはずっと、素数だけを生み出す公式を夢見てきました。1640 年、フェルマーはそれを見つけたと思いました。 5 つ続いた素数 フェルマーは次の形の数を調べました。 $$F_n=2^{2^n}+1.$$指数は 2 のべき、$1,2,4,8,16,\ldots$ です。最初のいくつかを計算すると、 $$F_0=3,\quad F_1=5,\quad F_2=17,\quad F_3=257,\quad F_4=65\,537.$$5 つとも素数です。$65\,537$ を手で確かめる(平方根まで割ってみる)だけでも、もう大変な作業でした。フェルマーはフレニクル・ド・ベシーへの手紙で、この形の数はすべて素数だと確信していると書きましたが、証明はないことも認めていました。 大きすぎる数 次の数は $$F_5=2^{32}+1=4\,294\,967\,297.$$10 桁の数です。素数かどうかを調べるには、17 世紀に手作業で約 6 万 5000 まで割ってみなければなりません。フェルマーはその計算をしませんでした。 ほぼ 100 年後の 1732 年、若きレオンハルト・オイラーが計算しました。そして見つけたのです。 $$4\,294\,967\,297=641\times6\,700\,417.$$フェルマーの予想はまちがっていました。すべての数についての主張は、反例が一つあれば崩れます。 なぜ 641 なのか オイラーはやみくもに割ってみたわけではありません。$F_5$ の約数は $64k+1$ という特別な形でなければならないことを知っていて、それで探す範囲が大きく狭まりました。この形の素数の候補の 5 番目が 641 です。 割り算をしないで割り切れることを確かめる、エレガントな方法もあります。641 は二通りに書けることに注目しましょう。 $$641=5\cdot2^7+1=5^4+2^4.$$641 を法として、一つ目の形から $5\cdot2^7$ の余りは $-1$。4 乗すると $5^4\cdot2^{28}$ の余りは $1$。二つ目の形から、$5^4$ の余りは $-2^4$ と同じ。入れ替えると、 $$-2^4\cdot2^{28}=-2^{32}\equiv1\pmod{641}.$$したがって $2^{32}+1$ の余りは 0、つまり 641 の倍数です。計算の全体はオイラーのシリーズにあります。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。 素数は今も 5 つだけ コンピュータによって、$F_5$ から $F_{32}$ までのフェルマー数はすべて合成数であることがわかっています。最初の 5 つ以外にフェルマー素数を見つけた人はいません。今では多くの数学者が、フェルマーの予想とは逆のこと、つまりフェルマー素数はこの 5 つしかないのではないかと考えています。

Hero Image
根を入れかえる:ラグランジュの定理

1770 年、代数学には二世紀以上も止まったままの問題がありました。2 次方程式には解の公式があり、3 次と 4 次の方程式の解き方も 1545 年にカルダーノが出版していました。ところが 5 次については、だれも何も見つけられませんでした。最高の数学者たちが挑み、4 次までうまくいったどの方法も 5 次でつかえてしまったのです。 ラグランジュは、もう一つ新しい方法を試すことはしませんでした。別の問いを立てたのです。古い方法はなぜうまくいくのか。 この論文で私は、これまでに見いだされた方程式の代数的解法のさまざまな方法を調べ、それらを一般的な原理に帰着させ、それらの方法がなぜ 3 次と 4 次ではうまくいき、それ以上の次数では失敗するのかを、先験的に示すことを目指す。 — ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ『方程式の代数的解法についての考察』(1771) この論文は 200 ページを超え、1770 年と 1771 年にベルリン・アカデミーから出版されました。 根を入れかえる 中心にある考えは、方程式の根でつくった式を見て、根どうしが場所を入れかえたときにその式がどうなるかを調べることです。 2 次から始めましょう。方程式 $x^2+bx+c=0$ の根を $x_1$、$x_2$ とすると、ヴィエト以来 $$x_1+x_2=-b,\qquad x_1x_2=c$$であることが知られています。この二つの式は、$x_1$ と $x_2$ を入れかえても変わりません。だから係数で書けるのです。一方、差 $x_1-x_2$ は変わります。$x_2-x_1$、つまり符号が逆になります。この式は二つの値をとります。けれどもその 2 乗は、ふたたび一つの値しかとらないので、係数で書けます。 $$(x_1-x_2)^2=(x_1+x_2)^2-4x_1x_2=b^2-4c.$$あとは平方根をとるだけです。$x_1-x_2=\pm\sqrt{b^2-4c}$。和と差がわかれば根はすぐに出てきて、結果は 2 次方程式の解の公式になります。公式の $\pm$ は、まさに $x_1-x_2$ がとりうる二つの値の符号なのです。 4 次の秘密 ラグランジュは同じ分析を 3 次と 4 次でもおこないました。4 次では、根を $x_1, x_2, x_3, x_4$ とすると、フェラーリの技法は式 $$t=x_1x_2+x_3x_4$$を見ることにあたります。四つの根の並べかえ方は $4!=24$ 通りありますが、$t$ がとる値は三つだけです。 $$\begin{gathered}x_1x_2+x_3x_4,\\ x_1x_3+x_2x_4,\\ x_1x_4+x_2x_3.\end{gathered}$$この三つの値は、もとの方程式の係数から計算できる係数をもつ3 次方程式の根です。3 次はすでに解けるので、$t$ が求まり、そこから根が求まります。4 次方程式が解けるのは、とる値が四つより少ない根の式が存在するからなのです。

Hero Image
クラドニ図形と振動板の懸賞

中心で固定した金属板に砂をまき、ふちをバイオリンの弓でこすってみましょう。板は歌いはじめ、砂はまるで自分の意志があるかのように、ある場所からは逃げ、別の場所に集まって、線や十字や星や左右対称の曲線を描きます。音を変えると、模様も変わります。これがクラドニ図形です。 クラドニ板の鳴らし方。板を中心で固定し、ふちをバイオリンの弓でこする。1879 年の本の版画。作者不詳、1879 · Wikimedia Commons · パブリックドメイン 目に見える音 ドイツのエルンスト・クラドニは 1787 年、『音の理論についての発見』という本でこれらの図形を発表しました。定性的な説明はかんたんです。板が振動すると、ほとんどの点が上下に動いて砂をはね飛ばします。けれども、動かない線がいくつかあります。これが節線です。砂はそこにすべりこんでとどまります。模様は、板が動かない場所の地図なのです。 クラドニは板を持ってヨーロッパじゅうを回りました。1808 年にはパリでナポレオンの前で実演し、魅了された皇帝は、図形を説明する弾性曲面の数学的理論を出した人に贈る 1 キログラムの金メダルを、科学アカデミーに用意させました。 なぜそれほどむずかしかったのか 振動する弦については、数学はすでにそろっていました。1747 年にダランベールが弦の方程式を書き、オイラーとダニエル・ベルヌーイが、弦は最低音の振動数の整数倍 $f, 2f, 3f, \ldots$ の音で振動することを説明していました。弦は線で、それを引きもどす力は弦がどれだけ傾いているかで決まります。 板はちがいます。板は金属の定規のように曲げられることに抵抗し、しかも二つの方向に同時に曲がります。オイラーは鐘をあつかおうとし、ダニエルのおいのヤコブ・ベルヌーイは板を交差する梁の格子と考えましたが、うまくいきませんでした。審査員の一人ラグランジュは、当時の方法では足りないと考えていました。応募したのはただ一人でした。 三度の挑戦 ソフィー・ジェルマンは一つの仮説から出発しました。板が抵抗する力はその曲率に比例し、曲面ではそれは二つの主方向の曲率を足すことを意味する、というものです。1811 年、彼女は論文を提出しました。計算にまちがいがあり、賞は与えられませんでした。けれどもラグランジュは、彼女の仮説から計算を正して、板の小さな変位 $z(x,y,t)$ についての正しい方程式にたどりつきました。 $$\begin{aligned}&\frac{\partial^2 z}{\partial t^2}+k^2\Bigg(\frac{\partial^4 z}{\partial x^4}+2\,\frac{\partial^4 z}{\partial x^2\,\partial y^2}\\&\qquad\qquad+\frac{\partial^4 z}{\partial y^4}\Bigg)=0.\end{aligned}$$4 階の導関数に注目してください。弦の方程式には 2 階の導関数しかありません。階数が高いのは、曲げに対する抵抗のしるしです。 懸賞は再募集されました。1813 年、ソフィーはこの方程式がクラドニの図形のいくつかを再現することを示し、佳作になりました。1816 年、三度目で受賞しました。審査員はまだ、物理的な根拠づけと板のふちでの条件に穴があると指摘しており、それが解決されたのは 1850 年、グスタフ・キルヒホッフによってでした。けれどもその方程式は、今日 $\frac{\partial^2 z}{\partial t^2}+k^2\,\Delta^2 z=0$ と書かれ、技術者が床や翼やギターの表板を計算するのに今も使っているのと同じものです。 図形を描く 正方形の板では、節線の古典的な近似が $$\cos(n\pi x)\cos(m\pi y)\pm\cos(m\pi x)\cos(n\pi y)=0$$のような組み合わせで与えられます。$x$ と $y$ は 0 と 1 のあいだです。下の図はこの式で描きました。それぞれの正方形が一枚の板で、明るい線が砂の集まる場所です。 単純化したモデルでの正方形の板の節線。m、n と符号のいくつかの値について。砂は明るい線の上に集まる。Euler’s Eyes 作図 ギターとバイオリン 楽器職人は今でもクラドニ図形を使っています。まだ取りつけていないバイオリンやギターの表板に粉をまき、スピーカーで振動させて模様を見るのです。節線があるべき場所になければ、あちこち少しずつ木を削っては試し、板がちゃんと「歌う」までくり返します。

Hero Image
ユークリッドの互除法:最大公約数

ユークリッドの互除法はあらゆるアルゴリズムのおじいさんである。今日まで生きのびている、自明でないアルゴリズムのなかで最も古いのだから。 — ドナルド・クヌース『The Art of Computer Programming』第 2 巻(1969) 長さ 252 cm と 105 cm の二本の棒があって、どちらもちょうど整数回で測れるいちばん長い物差しを見つけたいとします。今日のことばでは 最大公約数 $\gcd(252,105)$ が知りたいわけです。それぞれの数の約数をすべて書きだして、共通するいちばん大きなものを探してもよいのですが、大きな数ではそうはいきません。『原論』の第七巻で、ユークリッドはずっと速い方法を教えています。 大きいほうから小さいほうを引く 命題 VII.1 と VII.2 でのユークリッドの考えは単純です。二本の棒を測れる物差しは、その 差 も測れる。だから 252 と 105 の共通の尺度を探すかわりに、105 と $252-105=147$ について探してもよい。それから 105 と $147-105=42$ について。いつも大きいほうから小さいほうを引き、二つが等しくなるまで続けます。 $$(252,105)\to(147,105)\to(42,105)\to(42,63)\to(42,21)\to(21,21).$$どちらも 21 になりました。これが最大公約数です。ギリシャ人はこの手続きを アンテュパイレシス、「たがいに引くこと」と呼びました。 割り算による版 同じ数を何回も引くのは、割ることです。くり返しの引き算を余りのある割り算にまとめると、アルゴリズムは短くなります。 $$\begin{aligned}252&=2\cdot105+42\\105&=2\cdot42+21\\42&=2\cdot21+0\end{aligned}$$最後の 0 でない余りが最大公約数です。 $$\boxed{\gcd(252,105)=21.}$$なぜうまくいくのか $a=qb+r$ なら、 $a$ と $b$ をともに割りきる数は、$r=a-qb$ も割りきる。 $b$ と $r$ をともに割りきる数は、$a=qb+r$ も割りきる。 組 $(a,b)$ と $(b,r)$ の公約数はまったく同じなので、$\gcd(a,b)=\gcd(b,r)$ です。では、なぜアルゴリズムは 終わる のでしょう。余りは一歩ごとに小さくなる正の整数で、$42>21>0$、そして正の整数がいつまでも小さくなりつづけることはできないからです。いつかは余りが 0 になり、$\gcd(d,0)=d$ です。

Hero Image
素数を数える

素数はでたらめに現れるように見える。2、3、5、7、11、13、それから 17、19、23 まで間があき、29 までまた間があく。しかし遠くから眺めると、素数はある規則に従っている。$x$ 以下の素数の個数を $\pi(x)$ と書こう。まだ十代だったガウスは表を見ながら、数 $x$ の近くでは素数の密度がおよそ $\frac{1}{\ln x}$ であることに気づき、次の見積もりを提案した。 $$\pi(x) \approx \operatorname{li}(x) = \int_0^x \frac{dt}{\ln t}.$$これが対数積分である。それがよい見積もりであることを証明する方法も、ずれを説明する方法も、誰も知らなかった。 八ページの論文 1859 年 11 月、ベルリン・アカデミーの会員に選ばれたリーマンは、数論についてのただ一つの論文『与えられた数より小さい素数の個数について』を送った。わずか八ページである。そのなかでリーマンは、ゼータ関数とオイラー積を使って、素数の個数の正確な公式を書いた。 この考えのいちばんすっきりした形では、リーマンが $f(x)$ と呼んだ少し修正した数え方を使う。素数は重み 1、素数の平方は重み $\frac{1}{2}$、立方は重み $\frac{1}{3}$、以下同様に数えるのである。リーマンの公式は $$f(x) = \operatorname{li}(x) - \sum_{\rho}\operatorname{li}(x^{\rho}) - \ln 2 + \int_x^{\infty}\frac{dt}{t(t^2 - 1)\ln t}$$と述べる。ここで和はゼータ関数の非自明な零点 $\rho$ すべてにわたる。第一項がガウスの見積もりで、最後の二項は小さい。なめらかな曲線 $\operatorname{li}(x)$ と素数のでこぼこした階段とを隔てているのは、零点にわたる和なのである。 零点の波 各零点 $\rho = \frac{1}{2} + i\gamma$(リーマン予想を仮定する)は、大きさがおよそ $\frac{\sqrt{x}}{\ln x}$ で、振動数 $\gamma$ で波打つ振動を寄与する。零点は楽器の音のようにはたらく。それをどんどん足していくと、なめらかな曲線が折れ曲がり、ついには素数の階段を一段ずつ再現する。ゼータの零点は「素数の音楽」を秘めているといわれるのはこのためである。 重みつきの数え方をもとにもどして、リーマンは本当の個数の近似として次の関数を得た。 $$R(x) = \sum_{n=1}^{\infty}\frac{\mu(n)}{n}\operatorname{li}\!\left(x^{1/n}\right) = \operatorname{li}(x) - \frac{1}{2}\operatorname{li}\!\left(\sqrt{x}\right) - \frac{1}{3}\operatorname{li}\!\left(\sqrt[3]{x}\right) - \cdots.$$ここで $\mu$ はメビウス関数である。これは $\operatorname{li}(x)$ よりずっとよい。

Hero Image
無限小のない導関数と平均値の定理

18 世紀の終わり、微積分はとてもよく役に立っていましたが、なぜうまくいくのかをきちんと説明できる人はいませんでした。ライプニッツの $dx$ は「無限に小さい」量でした。それでわり算をするためにゼロでないものとしてあつかったかと思うと、すぐあとで、無視するためにゼロであるかのようにあつかうのです。1734 年、バークリー主教はこれをあざけって、「死んだ量の亡霊」と呼びました。 ラグランジュはこのことが気になっていました。1797 年、彼は副題そのものが一つの綱領になっている本を出版します。 微分計算の原理をふくみ、無限小、消えゆく量、極限、流率についてのあらゆる考察から解放され、有限な量の代数的解析に帰着させたもの。 — ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ『解析関数論』(1797) 導かれた関数 ラグランジュの考えは、まともな関数ならどれもべき級数に展開できる、というものでした。変数 $x$ に増分 $i$ を与えると、 $$f(x+i)=f(x)+p\,i+q\,i^2+r\,i^3+\cdots$$となり、$p, q, r, \ldots$ は $x$ の新しい関数です。ラグランジュはこのうち最初のもの、$i$ の係数を、$f$ の導かれた関数と定義し、ダッシュをつけて $f'(x)$ と書きました。$f'$ の導関数は $f''$、以下同様です。 $f(x)=x^3$ でどうなるか見てみましょう。3 乗を展開すると、 $$(x+i)^3=x^3+3x^2\,i+3x\,i^2+i^3.$$$i$ の係数は $3x^2$ なので、$f'(x)=3x^2$ です。あとで消えてしまうものでわる必要も、何かを無視する必要もありませんでした。係数を読みとるだけでよかったのです。これこそラグランジュが望んだことでした。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。 残ったダッシュ 今日、学校では導関数に二つの記号を使います。ライプニッツの $\frac{dy}{dx}$ と、ラグランジュの $f'(x)$ です。導関数(derivative)ということばもこの本から来ています。fonction dérivée、もとの関数から導かれた関数です。文字の上に点をつけて $\dot y$ と書いたニュートンの記号は、今日ではおもに物理で、変数が時間のときに使われています。 計画がつまずいたところ この計画には欠陥があり、1823 年にコーシーがそれを指摘しました。すべての関数がそのべき級数に等しいわけではないのです。関数 $$f(x)=e^{-1/x^2}\ \ (x\neq0),\qquad f(0)=0$$はゼロの近くでとても平らなので、そこでの導関数はすべてゼロになります。ゼロのまわりでのべき級数は $0+0\,i+0\,i^2+\cdots=0$ ですが、関数はゼロではありません。ラグランジュのように級数から出発するだけでは足りないのです。コーシーは極限の考えで微積分を立て直し、今日教えられているのは彼の版です。 それでもラグランジュは、その途中で、計画が難破したあとも生き残った二つの道具を見つけていました。 平均値の定理 一つめは平均値の定理で、彼は自分の級数をおさえるためにそれを必要としていました。今日の形ではこうです。$f$ が $a$ から $b$ までの区間で微分可能なら、そのあいだに少なくとも一つの点 $c$ があって、

Hero Image
平均曲率:曲面はどれだけ曲がっているか

振動する板の方程式を書くために、ソフィー・ジェルマンはかんたんそうに聞こえる問いに答えなければなりませんでした。曲面はある点でどれだけ曲がっているのか。彼女の答え、平均曲率は、今もシャボン玉、細胞膜、飛行機の外板を調べるのに使われています。 曲線の曲率 線から始めましょう。直線は曲がらないので、その曲率はゼロだといいます。円はどの点でも同じだけ曲がっていて、小さい円ほどよく曲がります。そこで半径 $R$ の円の曲率を $$\kappa=\frac1R$$と定めます。半径 1 cm の円の曲率は 1、半径 1 m の円なら 1 cm あたり $0.01$ です。一般の曲線では、各点でそこにいちばんよく合う円、接触円をとり、その半径の逆数を曲率とします。 曲面にはたくさんの曲率がある 曲面になると話はややこしくなります。缶の側面の一点を考えてみましょう。缶にそって縦に歩けば、道はまっすぐで曲率はゼロ。缶のまわりを歩けば、道は半径 $r$ の円で曲率は $\frac1r$。そのあいだの向きでは、あいだの値になります。 1760 年、オイラーはこれがいつも規則正しく起こることを示しました。各点に、曲率が最大になる向き $\kappa_1$ と最小になる向き $\kappa_2$ があり、二つはたがいに垂直です。これが主曲率です。一つめの向きと角 $\theta$ をなす向きの曲率は $$\kappa(\theta)=\kappa_1\cos^2\theta+\kappa_2\sin^2\theta$$です。 ソフィー・ジェルマンの考え ソフィー・ジェルマンには、板が曲げにどれだけ抵抗するかを表す一つの数が必要でした。彼女の仮説は、二つの主曲率を足すことでした。今日ではその和の半分を使い、平均曲率と呼びます。 $$H=\frac{\kappa_1+\kappa_2}{2}.$$この名前は正確です。$\kappa(\theta)$ をすべての向きについて平均すると、$\cos^2\theta$ と $\sin^2\theta$ の一周での平均はどちらも $\frac12$ なので、結果はちょうど $\frac{\kappa_1+\kappa_2}{2}$ になります。平均曲率とは、すべての向きの曲率の平均なのです。 半径 r の球面では、二つの主曲率はどちらも 1/r。円柱面では一つが 1/r、もう一つが 0。鞍形の面の中心では、二つは大きさが等しく符号が逆で、打ち消し合う。Euler’s Eyes 作図 半径 $r$ の球面:二つの曲率はどちらも $\frac1r$ で、$H=\frac1r$。 半径 $r$ の円柱面:一つの曲率が $\frac1r$、もう一つが $0$ で、$H=\frac1{2r}$。 鞍形の面:一方の向きでは上がり、もう一方では下がるので、二つの曲率は符号が逆になり、中心で $H=0$。 ジェルマンとガウス:和と積 1827 年、ソフィーの文通相手だったガウスは、同じ二つの曲率の別の組み合わせ、積 $K=\kappa_1\kappa_2$ を研究しました。今日ガウス曲率と呼ばれるものです。二つの数は別々のことを語っています。