1812 年 11 月 30 日、シェルブールから来た若い技師が、フランス学士院で長い題の論文を読みあげた。変数をたがいに入れかえたとき、大きさが等しく符号が反対の二つの値しかとりえない関数について。この題の背後にあったのは、行列式の最初の一般理論だった。 符号を変える関数 三つの変数 $a_1, a_2, a_3$ と、差の積 $$\Delta = (a_2 - a_1)(a_3 - a_1)(a_3 - a_2)$$を考える。$a_1$ と $a_2$ を入れかえると、各因子はそのままか符号を変えるかで、全体として $\Delta$ は $-\Delta$ になる。どの二つの変数を入れかえても同じである。変数の置換は入れかえの列なので、$\Delta$ に $+1$ か $-1$ を掛ける。置換は偶か奇かのどちらかである。 コーシーはこの観察を使って、ライプニッツ、クラメール、ヴァンデルモンド、ラプラスが連立一次方程式を解くときに見つけていた式を整理した。彼は $n^2$ 個の係数を、二つの添字 $a_{i,j}$ をもつ正方形の表に並べ、各行と各列から一つずつ要素をとった積すべてに、対応する置換の符号をつけて足したものとして行列式を定義した。 $$\det\begin{pmatrix} a_{1,1} & a_{1,2} \\ a_{2,1} & a_{2,2}\end{pmatrix} = a_{1,1}a_{2,2} - a_{1,2}a_{2,1}.$$「行列式(déterminant)」という言葉はガウスに由来する。ガウスは二次形式についてこの言葉を使っていた。今日の意味に定着させたのはコーシーである。 積 論文の主要な結果は積の定理である。$C$ が $A$ と $B$ を行と列で掛けて得られる表なら、 $$\det C = \det A \cdot \det B.$$ジャック・ビネも同じ年に同じ定理を発表しており、長方形の表に対する一般形は、今日コーシー=ビネの公式とよばれる。数で確かめよう。 $$A = \begin{pmatrix} 2 & 1 \\ 1 & 3 \end{pmatrix}, \quad B = \begin{pmatrix} 1 & 4 \\ 2 & 1 \end{pmatrix}$$とすると、$\det A = 6 - 1 = 5$、$\det B = 1 - 8 = -7$ である。積は
行列式は連立一次方程式を解くために生まれた。1750 年、ガブリエル・クラメルは自分の名がついた公式を発表した。各未知数を、係数からつくった二つの式の比として与える公式である。しかし未知数が多いとき、それらの式を整然と計算する方法がまだなかった。1772 年、アレクサンドル=テオフィル・ヴァンデルモンドとラプラスが、ほとんど同時に、これらの式をそれ自体ひとつの対象として研究した。今日の意味での行列式という言葉は 1812 年にコーシーが定め、いま使われている縦線の記号は 1841 年のアーサー・ケイリーにさかのぼる。 六つの項、三つの組 $3 \times 3$ 行列の行列式には六つの項がある。 $$\begin{vmatrix} a_1 & b_1 & c_1 \\ a_2 & b_2 & c_2 \\ a_3 & b_3 & c_3 \end{vmatrix} = a_1b_2c_3 - a_1b_3c_2 - a_2b_1c_3 + a_2b_3c_1 + a_3b_1c_2 - a_3b_2c_1.$$ラプラスの考えは、これらの項をある行(または列)の成分ごとにまとめることだった。第一列の成分 $a_1$、$a_2$、$a_3$ でくくると $$= a_1(b_2c_3 - b_3c_2) - a_2(b_1c_3 - b_3c_1) + a_3(b_1c_2 - b_2c_1).$$それぞれのかっこは $2 \times 2$ の行列式で、その成分の行と列を消したときに残るものである。この小さな行列式をその成分の小行列式という。 $$= a_1\begin{vmatrix} b_2 & c_2 \\ b_3 & c_3 \end{vmatrix} - a_2\begin{vmatrix} b_1 & c_1 \\ b_3 & c_3 \end{vmatrix} + a_3\begin{vmatrix} b_1 & c_1 \\ b_2 & c_2 \end{vmatrix}.$$符号のチェス盤 符号はチェス盤の模様のように交互に変わる。第 $i$ 行第 $j$ 列の成分には符号 $(-1)^{i+j}$ がつく。