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四元数:橋の上の公式

複素数が実数の対であり、その掛け算が平面を回すことを示したあと、ハミルトンは同じことを空間で行いたいと考えた。彼は三つ組 $a + bi + cj$ と、絶対値の法則を満たす掛け算を探していた。積の大きさは大きさの積でなければならない。何年も、とりわけ 1843 年には熱心に試み、子どもたちが毎朝、三つ組はもう掛けられるようになったかと尋ねるほどだった。 三つではなぜだめか 算術の中に障害が隠れている。もし絶対値の法則を満たし、係数が整数である三つ組の掛け算の規則があれば、三つの平方の和どうしの積は、いつも三つの平方の和になるはずだ。ところが $$3 = 1^2 + 1^2 + 1^2, \qquad 5 = 2^2 + 1^2 + 0^2, \qquad 3 \times 5 = 15$$であり、$15$ は三つの平方の和ではない(試してみよう。使える平方は $0, 1, 4, 9$ で、どの三つを組み合わせても $15$ にはならない)。四つの平方なら難しさは消える。$15 = 9 + 4 + 1 + 1$ である。しかも 1748 年以来、オイラーの四平方恒等式が知られていた。四つの平方の和どうしの積はいつも四つの平方の和になる、というものだ。自然は三つではなく四つの部分を求めているように見えた。 散歩 1843 年 10 月 16 日、月曜日、ハミルトンは王立アイルランド・アカデミーの会議の議長を務めるため、妻とともにロイヤル運河沿いをダンシンクからダブリンへ歩いていた。二十二年後、彼は自らその場面を息子に語っている。 妻はときどき話しかけてきたが、わたしの心の中では思考の底流が続いていて、それがついに一つの結果をもたらした。その重要さをすぐに感じたと言っても言いすぎではない。電気の回路が閉じたように思われ、火花が飛んだ。[……] そして、哲学的とは言えなかったかもしれないが、ブルーアム橋を通りかかったとき、記号 i、j、k を使った基本公式をナイフでその石に刻みたいという衝動を、わたしは抑えることができなかった。 — ウィリアム・ローワン・ハミルトン、息子アーチボルドへの手紙(1865) その公式は $$i^2 = j^2 = k^2 = ijk = -1$$である。

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フォン・ノイマン型アーキテクチャ:EDVAC 報告書

1945 年にペンシルベニア大学で完成した ENIAC は、当時世界最速の電子計算機だった。一万八千本近い真空管を使い、一秒間に五千回の足し算をした。だが計算を変えるには、パネルの上のケーブルとスイッチを配線し直さなければならず、それはプログラマーのチームが何日もかける仕事だった。 ENIAC の制御パネルを操作する二人のプログラマー。ペンシルベニア大学ムーア・スクール、1946 年ごろ。United States Army · Wikimedia Commons · パブリックドメイン ENIAC の技術者 J・プレスパー・エッカートとジョン・モークリーは、すでに次の機械 EDVAC を計画していた。そこではプログラムが記憶装置に保持される。フォン・ノイマンは彼らの会議に出席するようになり、1945 年 6 月、「器官」や「ニューロン」について語る抽象的な、ほとんど生物学的な言葉で、グループの考えを整理した文書を書いた。 『EDVAC に関する報告書の第一草稿』の表紙。日付は 1945 年 6 月 30 日。John von Neumann · Wikimedia Commons · パブリックドメイン 計算機の部分 『EDVAC に関する報告書の第一草稿』は、次のものからなる計算機を記述している。 計算を行う演算装置 命令を一つずつ読み、実行させる制御装置 数と命令を同時に保持する記憶装置。どちらも二進数字の列として書かれる 入力と出力の装置 決定的な新しさは 3 番目にある。プログラムがデータと同じ記憶装置に保持されるので、計算を変えるとは記憶装置の中の数を変えることであり、配線を変えることではない。しかもプログラムは自分自身の命令を計算し、書き換えることさえできる。これは 1936 年のチューリングの万能機械のアイデアを、真空管と水銀遅延線で実現したものである。 四行のプログラム 0 から 7 まで番号のついた八つの位置をもつ記憶装置と、アキュムレータと呼ばれるレジスタを考えよう。 位置 内容 意味 0 LOAD 5 位置 5 の数をアキュムレータに入れる 1 ADD 6 位置 6 の数をアキュムレータに足す 2 STORE 7 アキュムレータを位置 7 に格納する 3 HALT 終了 5 40 データ 6 2 データ 7 0 結果 制御装置は位置 0 から始め、実行しては次へ進む。三歩の後、位置 7 には $42$ が入っている。命令とデータは隣り合って住んでいる。STORE 1 という命令が二番目の命令を上書きするのを妨げるものは何もない。そして、それこそが、あるプログラムが別のプログラムを生成できる理由なのだ。

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万能機械:プログラムもデータである

どのチューリング機械も一つのことしかしない。1 を足す機械は 1 を足し、$\frac17$ を書く機械は $\frac17$ を書く。別の計算をするには別の機械が要る。1936 年には、それが当たり前だった。機械式計算機も、パンチカードの集計機も、潮汐予測機も一つの仕事のためにつくられ、仕事を変えるには機械を替えるか配線をし直すしかなかった。 同じ論文で、チューリングはその必要がないことを示した。 機械を読む機械 どんな機械の規則の表も、文章としてテープに書くことができる。そこでチューリングは特別な機械 $U$、万能機械を記述した。$U$ は次のように動く。 テープの上で、機械 $M$ の記述と、そのあとに続く入力 $x$ を受け取る。 記述の中から、$M$ の現在の状態と、$M$ が読んでいるはずの記号に対応する規則を探す。 テープのうち $M$ のテープを表す部分でその規則を実行し、新しい状態を書きとめて 2 に戻る。 こうして $U$ は、表さえ与えられれば、どんな機械でも一歩ずつまねする。記号で書けば、 $$U(\langle M\rangle,x)=M(x)\quad\text{すべての機械 }M\text{ とすべての入力 }x\text{ について}.$$代償は遅さである。$M$ の一歩ごとに、$U$ は探したり写したりするのに何歩もかかる。しかし $U$ が計算できるものは、すべての機械を合わせて計算できるものとちょうど同じである。 メモリの中のプログラム 実際上の帰結は、プログラム内蔵という考え方である。仕事ごとに機械をつくるかわりに、機械は一台だけつくり、仕事はデータとして、数を入れるのと同じメモリに入れる。仕事を変えることは、文章を変えることになる。携帯電話でアプリを開くときに起きているのはまさにそれである。装置はいつも同じで、変わるのはそれが読む記述のほうである。 さらに、プログラムがデータなら、プログラムがほかのプログラムを読み、書き、書き換えることもできる。コンパイラーやオペレーティングシステムがしているのはそれであり、ある意味では、停止問題の証明で自分自身の記述を受け取った機械 $D$ もそうである。 パイロット ACE。チューリングの設計を縮小した版で、国立物理学研究所でつくられ、1950 年に動きだした。現在はロンドンの科学博物館にある。Philafrenzy · Wikimedia Commons · CC BY 2.0 紙から金属へ 戦後の 1945 年から 1946 年にかけて、チューリングは国立物理学研究所で、プログラム内蔵式計算機 ACE(自動計算機関)の完全な設計を書いた。大胆な設計だった。水銀遅延線のメモリ、毎秒百万パルスの速さ、そして機械が自分の命令を書き換えるようにプログラムできるという考えまで含まれていた。官僚主義と技術者不足のせいで建造は遅れた。縮小版のパイロット ACE がようやく動いたのは 1950 年で、しばらくのあいだ世界で最も速い計算機の一つだった。 その間、マンチェスターでは、フレデリック・ウィリアムズとトム・キルバーンが、1948 年 6 月 21 日、ベビーというあだ名の機械で、電子メモリに保存した最初のプログラムを動かした。チューリングは数か月後にマンチェスターに来て、それに続く機械の仕事にかかわった。

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ネイピアの骨:棒でかけ算をする

対数は天文学の大きな計算のためのものでした。ふだんの計算のために、ネイピアは別のものを発明し、亡くなった年の 1617 年に、小さな本『ラブドロギア』(Rabdologia)で発表しました。ギリシア語の rhabdos(棒)と lógos(計算)から来た名前で、棒による計算という意味です。 棒 一本一本の棒は「骨」とも呼ばれました。いちばん高価なものは象牙でできていたからです。上端に 0 から 9 までの数字が一つあり、その下に、斜線で区切られた九つの小さなます目に、その 1 倍から 9 倍までが書かれています。十の位は斜線の上、一の位は下です。たとえば 7 の棒には $0/7$、$1/4$、$2/1$、$2/8$、$3/5$、$4/2$、$4/9$、$5/6$、$6/3$ とあります。 ケンブリッジのウィップル博物館にある、17 世紀のネイピアの骨と箱。Marsupium · Wikimedia Commons · パブリックドメイン かけ算のしかた $425\times6$ を計算するには、4、2、5 の棒を並べて 6 行目を見ます。 $$4\times6=24\ \to\ 2/4,\qquad2\times6=12\ \to\ 1/2,\qquad5\times6=30\ \to\ 3/0.$$次に、右から左へ斜めに足します。最初の斜めの列には 0 しかありません。二つ目には 3 と 2 があり、5 になります。三つ目には 1 と 4 があり、5。最後の列には 2 だけです。結果は $$425\times6=2550.$$斜めの列は、ふつうのかけ算の「繰り上がり」を自動的にしてくれます。それぞれの積の十の位が、次の積の一の位と同じ斜めの列に入るからです。斜めの列の和が 9 を超えたら、足し算と同じように、超えた分を次の列に送ります。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。 何桁もある乗数 $425\times36$ のように何桁もある数をかけるには、6 行目と 3 行目を一つずつ読み、位をそろえて足します。

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ガロアの虚数:有限体

1830 年 6 月、18 歳のガロアは、パリの科学紀要に『数の理論について』という短い論文を発表しました。その中で彼は、有限個の数しかない世界のために新しい数を発明し、それを虚数と呼びました。一世紀以上のあいだ、この論文は珍品のように見えていました。今日、それはすべての携帯電話の中にあります。 余りで数える 時計の算術では、決まった数で割った余りだけを使って数えます。5 なら $0, 1, 2, 3, 4$ しかなく、計算は「一周して」戻ってきます。 $$3+4=7\equiv2,\qquad3\cdot4=12\equiv2\pmod5.$$5 を法とするかけ算の表を見てみましょう。 $\times$ 1 2 3 4 1 1 2 3 4 2 2 4 1 3 3 3 1 4 2 4 4 3 2 1 どの行にも 1 が現れます。つまり 0 でないどの数にも逆元があるのです:$2\cdot3\equiv1$、$4\cdot4\equiv1$。割り算ができます! たった 5 個の数で、有理数と同じように四則演算がそろった完全な算術ができるのです。このような構造を体といいます。 6 ではうまくいきません。$2\cdot3=6\equiv0$ なので、2 は逆元をもてません。もし $2x\equiv1$ なら、3 をかけて $0\equiv3$ となってしまいます。$n$ で割った余りが体をつくるのは、$n$ が素数のとき、そしてそのときに限ります。 三つの数の世界の i 3 を法とすると $0, 1, 2$ しかありません。方程式 $x^2+1=0$、つまり $x^2\equiv2$ には解がありません:$0^2=0$、$1^2=1$、$2^2=4\equiv1$。実数で $x^2=-1$ に解がないのと同じ状況です。

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定規とコンパスでレムニスケートを分ける

1694 年、ヤコブ・ベルヌーイは、横に寝かせた 8 の字の形の曲線を調べ、lemniscus、つまりリボン結びと名づけました。焦点を点 $(\pm\frac1{\sqrt2},0)$ にとると、それは二つの焦点までの距離の積が $\frac12$ になる点の集まりです。方程式は $$(x^2+y^2)^2=x^2-y^2$$で、極座標では $r^2=\cos2\theta$ です。一世紀半後、アーベルはこの曲線について、ユークリッドの本から出てきたような定理を証明しました。どんな数 $n$ なら、定規とコンパスだけでレムニスケートを長さの等しい $n$ 個の弧に分けられるのか。 ベルヌーイのレムニスケート r² = cos 2θ と、それを長さの等しい八つの弧に分ける七つの点。曲線は中心を二度通る。Euler’s Eyes 作図 弧の長さ まず、曲線の一部分の長さはいくらでしょうか。極座標では、小さな弧は $ds^2=dr^2+r^2\,d\theta^2$ を満たします。$r^2=\cos2\theta$ を微分すると、 $$2r\,dr=-2\sin2\theta\,d\theta,\qquad\sin2\theta=\sqrt{1-\cos^22\theta}=\sqrt{1-r^4}$$なので、$d\theta=-\dfrac{r\,dr}{\sqrt{1-r^4}}$ であり、 $$ds^2=dr^2+\frac{r^4\,dr^2}{1-r^4}=\frac{dr^2}{1-r^4}.$$したがって、中心から、中心からの距離が $r$ の点までの弧の長さは $$\boxed{s=\int_0^r\frac{dt}{\sqrt{1-t^4}}.}$$これはレムニスケート積分で、レムニスケート正弦を定義するのと同じ積分です。言いかえれば、中心から弧に沿って $s$ の距離にあるレムニスケート上の点は、中心から $\operatorname{sl}(s)$ の距離にあります。レムニスケート正弦は、正弦が円に対してすることを、レムニスケートに対してするのです。中心から先端までの弧は $\frac\varpi2\approx1.3110$、曲線全体は $2\varpi\approx5.2441$ です。 1751 年のクリスマス 1718 年、イタリアの伯爵ジュリオ・ファニャーノは、レムニスケートの弧を定規とコンパスで2 倍にする方法を見つけました。ある弧が与えられたとき、その 2 倍の長さの弧を作図するのです。ほとんどだれも気にとめませんでした。1751 年 12 月 23 日、ベルリン科学アカデミーはファニャーノの著作をオイラーに渡し、意見を求めました。オイラーはそこにあるものをすぐに見抜き、ファニャーノの公式をこれらの積分の加法公式へと一般化しました。一世紀近くのち、ヤコビはその日を楕円関数の誕生日と呼びました。 八つに分ける ファニャーノの公式を、レムニスケート正弦で書きましょう。 $$\operatorname{sl}(2u)=\frac{2\operatorname{sl}(u)\sqrt{1-\operatorname{sl}(u)^4}}{1+\operatorname{sl}(u)^4}.$$曲線を八等分するには、中心から先端までの弧を二等分する点を見つければ十分です。先端は $r=1$ にあるので、$\operatorname{sl}(2u)=1$ となる $s=\operatorname{sl}(u)$ を探します。 $$1+s^4=2s\sqrt{1-s^4}.$$両辺を 2 乗し、$w=s^2$ とおくと、

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ナッシュ交渉解

古典的な経済問題に新しい扱いを与える。この問題は交渉や双方独占など、さまざまな形で現れる。 — ジョン・ナッシュ「交渉問題」(1950) 1948 年、まだカーネギー工科大学の学部生だったナッシュは、国際経済学の授業を受けました。彼が生涯で受けた唯一の経済学の授業です。そこから一つの問いを持ち帰りました。二人が交渉するとき、合意から生まれる利益をどう分けるのか。経済学者たちは、答えは双方の心理や手腕やはったりしだいで、一般には何も言えないと考えていました。ナッシュは、合意がいくつかのもっともな要請を満たさなければならないなら、ありうる答えは一つしかないことを示しました。論文はプリンストンに来る前に書かれ、1950 年に雑誌『エコノメトリカ』(Econometrica)に発表されました。 問題 二人、1 と 2 が合意を結べるとします。ありうる合意はそれぞれ、各自に効用で測った利得 $u_1$、$u_2$ をもたらします。合意しなければ、各自は元からもっていたものを保ちます。これが決裂点 $(d_1,d_2)$ です。合意に意味があるのは、各自に少なくとも合意しない場合と同じだけを与えるときだけです。 四つの要請 ナッシュは解に四つの性質を求めました。 効率性。 二人にとって同時によりよい別の合意があってはならない。 対称性。 状況が対称で、二人の可能性も決裂点も同じなら、二人の取り分は等しい。 不変性。 ある人の効用を別の尺度で測っても、セ氏をカ氏に換えるように、解は変わらない。 無関係な選択肢からの独立性。 ある問題の解がより小さな問題でも可能なら、それはやはり解である。だれも選ばない選択肢を取り除いても、合意は変わらない。 ナッシュの定理によれば、四つの性質をすべてもつ規則はただ一つです。決裂点からの利得の積 $$\boxed{(u_1-d_1)\cdot(u_2-d_2)}$$を最大にする合意を選ぶことです。 1000 円を分ける 二人が 1000 円を分けます。単位を 100 円として、合計を 10 としましょう。合意できなければ、だれも何も得られません:$d=(0,0)$。簡単のため、効用はお金そのものとします。1 が $x$ を受け取れば、2 は $10-x$ を受け取り、積は $$P(x)=x(10-x)=25-(x-5)^2.$$最大は $x=5$ です。それぞれ 5、つまり 500 円ずつ。対称な場合なので、驚くことではありません。 よい代わりの選択肢をもつ人が多くを得る 今度は 1 に代わりの選択肢があるとします。合意できなくても、よそで 4 を得られ、2 は相変わらず何も得られません。決裂点は $(4,0)$ です。決裂点からの利得は $x-4$ と $10-x$ で、積は $$P(x)=(x-4)(10-x)=9-(x-7)^2,\qquad4\leq x\leq10.$$ 決裂点からの利得の積 (x − 4)(10 − x)。x = 4 では 1 が合意から何も得ないので 0、x = 10 では 2 が何も得ないので 0 になる。最大値 9 は x = 7 にある。Euler’s Eyes 作図 最大は $x=7$ です。1 が 7、2 が 3 を受け取ります。どちらも合意しない場合より3 多く得ています。ナッシュ解は余剰を等分します。余剰とは、各自がすでに確保していた分を超えて合意が生み出す価値です。だから、よい代わりの選択肢をもつ人は多くを得るのです。それはただでもらえるものではなく、交渉の出発点なのです。

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マクスウェルの方程式:ファラデーの力線からベクトルへ

はじめは、これほどの数学の力がこの主題に向けられるのを見て、ほとんどおびえたほどでした。それから、主題がそれにとてもよく耐えているのを見て驚きました。 — マイケル・ファラデー、マクスウェル宛の手紙(1857 年 3 月 25 日) 1820 年までは、電気と磁気は別々の主題でした。電気は火花を飛ばし、髪の毛を逆立てる。磁気は方位磁針を北に向ける。その年、コペンハーゲン大学の講義で、デンマークのハンス・クリスティアン・エルステッドは電池を導線につなぎ、近くの磁針が動くのを見ました。電流が磁気を生んだのです。 ファラデーの力線 マイケル・ファラデー(1791–1867)。力線を思い描いた鍛冶屋の息子。作者不明、1850 年代 · Wikimedia Commons · パブリックドメイン ロンドンでは、13 歳で学校をやめて製本屋の見習いになった鍛冶屋の息子マイケル・ファラデーが、この発見をさらに進めました。1821 年、彼は最初の電動機をつくりました。磁石のまわりを回る導線です。1831 年には、エルステッドの逆を発見しました。導線の近くで 動く 磁石は電流を生む。これが 電磁誘導 で、発電所の発電機にも自転車のダイナモにも使われている原理です。 ファラデーは算数より先の数学を知りませんでした。考えるとき、彼は磁石や電荷のまわりの空間が、磁石のまわりに鉄粉が描く線のような 力線 で満たされていると想像しました。大切なのは磁石ではなく力線でした。数学者たちはこの考えを素朴だと思いました。彼らにとって、力はニュートンの重力のように離れたところに直接はたらくものだったのです。 マクスウェルはファラデーの力線を本気で受けとめました。1855 年、24 歳で「ファラデーの力線について」を発表し、図を方程式に翻訳しました。1861 年と 1862 年の「物理的な力線について」では、空間の力学模型を考えました。回転する流体の管が、歯車のようにはたらく小さな玉で仕切られている模型です。奇妙な模型でしたが、足場としては役に立ちました。それを使って、マクスウェルは 変位電流 と 波の速さ を見つけたのです。1865 年の「電磁場の動力学的理論」で彼は足場をとりはずしました。残ったのは方程式だけで、二十の未知数についての 二十本 の方程式が、成分ごとに書かれていました。 四元数か、ベクトルか 二十本の方程式は読みにくいものでした。もっとよい記法が必要で、候補がありました。アイルランドのウィリアム・ローワン・ハミルトンの 四元数、四つの部分をもつ数 $q=w+ai+bj+ck$ です。マクスウェルの学校時代の友人ピーター・ガスリー・テイトは四元数の大の擁護者で、1870 年から 1871 年にかけての手紙で、『論』に四元数を使うようマクスウェルを説得しようとしました。 マクスウェルが受けいれたのは半分だけでした。磁場のように向きをもつ量をうまく表せる三成分の部分 $ai+bj+ck$ は気に入りましたが、四つ目の部分 $w$ には物理的な意味が見いだせなかったのです。『電気磁気論』(1873)では、スカラー部分とベクトル部分を分け、四元数はひかえめに使いました。1871 年の論文では、場についての演算に、今も使われている名前をつけました。ある点のまわりで場がどれだけ回っているかを測る curl(回転)と、ある点に場がどれだけ集まるかを測り、今日の発散の逆にあたる convergence(収束)です。 『電気磁気論』第一巻の扉(オックスフォード、1873)。Wikimedia Commons · パブリックドメイン 次の一歩は、『論』を独学で読んだ二人によって踏みだされました。16 歳で学校をやめた電信技手のイギリス人オリヴァー・ヘヴィサイドと、イェール大学のアメリカ人ジョサイア・ウィラード・ギブズは、四元数を捨て、それぞれ独立に、内積と外積をもつ現代の ベクトル解析 をつくりました。1884 年から 1885 年にかけて、ヘヴィサイドはマクスウェルの二十本の方程式を 四本 に書きなおしました。今日どの教科書にも出てくるのは、この形です。

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四つの平方数で足りる

好きな正の整数を一つとって、平方数 $0, 1, 4, 9, 16, 25, \ldots$ の和として、できるだけ少ない項で書いてみましょう。 $$\begin{aligned} 5&=4+1,\\ 6&=4+1+1,\\ 7&=4+1+1+1,\\ 30&=25+4+1,\\ 2026&=2025+1=45^2+1^2. \end{aligned}$$それ自身が平方数のものもあれば、二つ必要なもの、三つ必要なものもあります。7 は四つ必要で、ほかに方法はありません。五つ必要な数はあるでしょうか。1770 年、ラグランジュはないことを証明しました。 すべての正の整数は、四つの整数の平方の和である。 ゼロも平方数に数えれば、これは $n=a^2+b^2+c^2+d^2$ となる $a, b, c, d$ がいつも存在するということです。 十五世紀にわたる予想 250 年ごろ、アレクサンドリアのギリシア人ディオファントスは、ある数が四つの平方数の和に書けることを、問題のなかで説明なしに使っています。1621 年、フランスのクロード=ガスパール・バシェはディオファントスの『算術』のラテン語版を出版し、この主張をはっきり書きました。彼は 325 まで確かめたが証明はわからない、と述べています。 ピエール・ド・フェルマーが有名な書きこみをしたのは、このバシェの本の余白でした。フェルマーは自分の無限降下法で証明したと宣言しましたが、いつものとおり、それを見せることはありませんでした。 オイラーの四十年 オイラーはおよそ四十年にわたって証明を試み、最後までたどりつけませんでした。けれども 1748 年に、いちばん大事な部品を見つけます。四つの平方数の和どうしの積は、また四つの平方数の和になることを示す恒等式です。 $$\begin{aligned} &(a^2+b^2+c^2+d^2)(e^2+f^2+g^2+h^2)\\ &\quad=(ae+bf+cg+dh)^2\\ &\qquad+(af-be+ch-dg)^2\\ &\qquad+(ag-bh-ce+df)^2\\ &\qquad+(ah+bg-cf-de)^2. \end{aligned}$$魔法のように見えますが、両辺を展開するだけです。交差する積はすべて二つずつ打ち消し合います。たとえば $7=2^2+1^2+1^2+1^2$、$15=3^2+2^2+1^2+1^2$ です。恒等式から $$\begin{aligned}105&=7\cdot15=10^2+1^2+0^2+(-2)^2\\&=100+1+0+4.\end{aligned}$$この結果は強力です。どんな数も素数の積です。それぞれの素数が四平方和なら、恒等式によってその積も四平方和になります。したがって、定理は素数について証明すれば十分なのです。 ラグランジュの証明 ここで、1770 年、すでにベルリンにいたラグランジュが登場します。彼の証明は二段階からなり、どちらもフェルマーの降下法の仲間です。 第一段階。 どんな奇素数 $p$ についても、$x^2+y^2+1$ が $p$ の倍数になる $x$ と $y$ が存在します。理由は数え上げです。$x$ を $0$ から $\frac{p-1}2$ まで動かすと、数 $x^2$ は $p$ でわったとき $\frac{p+1}2$ 個の異なる余りを残し、数 $-1-y^2$ も同じです。$\frac{p+1}2+\frac{p+1}2=p+1$ は可能な余り $p$ 個より多いので、鳩の巣原理により、二つのリストのあいだで余りがどこかで重なります。したがって $p$ のある倍数、たとえば $mp$ は四平方和 $x^2+y^2+1^2+0^2$ になります。

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指数計算:x の x 乗を微分する

ライプニッツの微積分は、$x^3$ や $x^{1/2}$ のように指数が決まったべき乗なら微分できました。$x^n$ の導関数は $nx^{n-1}$ です。ところが 1694 年、ライプニッツへの手紙で、ヨハン・ベルヌーイは奇妙なものをもちだしました。 $$y=x^x$$という式です。底 と 指数が同時に変わります。指数が決まっていないので $x^n$ の規則は使えません。底が決まっていないので $a^x$ の規則も使えません。1697 年、ヨハンは『学術紀要』に「指数計算の原理」を発表し、こうしたべき乗の扱い方を示しました。指数がいろいろな値を走りぬけるので、彼はそれを 走るべき (percurrent)と呼びました。 対数のこつ べき乗を、微分のしかたを知っている積に変えるのが考えどころです。$x>0$ として、両辺の自然対数をとります。 $$\ln y=x\ln x.$$両辺を $x$ で微分します。左辺は連鎖律で $\dfrac{y'}y$。右辺は積の微分で $1\cdot\ln x+x\cdot\dfrac1x=\ln x+1$。したがって $\dfrac{y'}{y}=\ln x+1$ で、 $$\boxed{\frac{d}{dx}\,x^x=x^x\,(\ln x+1).}$$関数そのものではなくその対数を微分するこの技法は、対数微分法 と呼ばれるようになりました。$f>0$ の任意の $y=f(x)^{g(x)}$ に使えます。 $$\ln y=g\ln f\quad\Longrightarrow\quad y'=f^{\,g}\left(g'\ln f+g\,\frac{f'}f\right).$$かっこのなかの二つの項は、二つの変化を数えています。指数の変化 $g'\ln f$ と、底の変化 $g\frac{f'}f$ です。底が決まっていれば第一項だけが残って $\frac{d}{dx}a^x=a^x\ln a$ に戻り、指数が決まっていれば第二項だけが残って $nx^{n-1}$ に戻ります。 x の x 乗がいちばん小さくなるところ $x^x$ はいつも正なので、導関数の符号は $\ln x+1$ の符号です。$x<\frac1e$ では負、$x>\frac1e$ では正になります。関数は $x=\frac1e\approx0.368$ まで減り、それから増えます。最小値は $$\left(\frac1e\right)^{1/e}=e^{-1/e}\approx0.692.$$つまり、どんな正の数も、自分自身で累乗して $0.692$ より小さくなることはありません。たとえば $0.5^{0.5}=\sqrt{0.5}\approx0.707$、$0.3^{0.3}\approx0.697$ で、どちらも少し上です。

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ソフィー・ジェルマンの恒等式:素数に見えるものを因数分解する

素数に見えて、そうでない数があります。たとえば 629 は偶数でも、一の位が 5 でも、3 の倍数でもありません。けれども $629=5^4+4$ で、この形が正体をあかします。ソフィー・ジェルマンの名がついた恒等式で因数分解できるのです。 恒等式 どんな数 $a$、$b$ についても、 $$\begin{aligned}a^4+4b^4={}&\left(a^2+2b^2+2ab\right)\\&\times\left(a^2+2b^2-2ab\right).\end{aligned}$$これを見つけるこつは、2 次方程式の解の公式のときと同じ、平方完成です。$a^4+4b^4$ は $a^2+2b^2$ の 2 乗にほとんど等しく、足りないのは真ん中の項 $4a^2b^2$ だけです。その項を足して引くと、 $$\begin{aligned}a^4+4b^4&=\left(a^4+4a^2b^2+4b^4\right)-4a^2b^2\\&=\left(a^2+2b^2\right)^2-(2ab)^2.\end{aligned}$$これで二つの平方の差になったので、$u^2-v^2=(u+v)(u-v)$ で仕上がりです。 例では $a=5$、$b=1$ として、 $$5^4+4=(25+2+10)(25+2-10)=37\cdot17=629.$$素数に見えたもの この恒等式は、無害に見える多くの数が合成数であることを一度に示します。たとえば $n>1$ なら $n^4+4$ はいつも合成数です。$a=n$、$b=1$ とすれば、二つの因数 $n^2+2n+2$ と $n^2-2n+2$ はどちらも 1 より大きいからです。$n=1$ だけは例外で、そのとき二つめの因数は $1$ になり、$1^4+4=5$ は素数です。 もっと意外な例は 2 のべきから出てきます。数 $2^{10}+1=1025$ は $1+4\cdot4^4$ と書けるので、$a=1$、$b=4$ として、 $$2^{10}+1=(1+32+8)(1+32-8)=41\cdot25.$$$2^{4k+2}+1$ の形の数に対するこの種の因数分解は、19 世紀に巨大な数を割るのに使われました。1869 年、フランスのフォルチュネ・ランドリーは 18 けたの数 $2^{58}+1$ を手計算で因数分解しました。まもなくレオン=フランソワ=アントワーヌ・オーリフイユは、ソフィー・ジェルマンの恒等式を使えば最初の分解が一行ですむことを示しました。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。 数学オリンピックの問題 ソフィー・ジェルマンの恒等式は、数学オリンピックでお気に入りの道具の一つです。$4^{545}+545^4$ は素数か、と問う古典的な問題があります。コンピュータなしでは答えられそうにありませんが、この恒等式を使えば、数行で素数でないことがわかります。二つめの練習問題を見てください。