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因数分解できる D:演算子としての導関数

「$x$ で微分せよ」を $D$ と書こう。すると $D(x^3)=3x^2$、$D(\sin x)=\cos x$ で、2 回微分することは $D(D(f))$、略して $D^2f$ となる。ここまではただの略記である。おもしろくなるのは、書き方の形を本気で受けとめたときである。$D^2$ が 2 乗に見えるなら、$D$ を数として扱ってはいけないだろうか。 微分方程式が多項式になる 方程式 $$y''-3y'+2y=0$$を考えよう。$D$ を使えば $D^2y-3Dy+2y=0$、$y$ をくくり出せば $$(D^2-3D+2)\,y=0$$となる。そしてここで大胆な一歩を踏み出す。$D$ の「多項式」を、$r$ の多項式のように因数分解するのである。 $$(D-1)(D-2)\,y=0.$$$(D-1)y=0$ なら $y'=y$ で、$y=e^{x}$。$(D-2)y=0$ なら $y'=2y$ で、$y=e^{2x}$。方程式の解はその組み合わせ $$y=C_1e^{x}+C_2e^{2x}$$である。いま起きたのは、微分方程式が高校の代数で解かれたということである。記号 $D$ は、「導関数どうしのこの関係を満たす関数はどれか」という問いを、「$r^2-3r+2$ の根は何か」という問いに変えた。教科書はこの多項式を特性方程式と呼び、この方法は定数係数のどんな線形方程式にも使える。 指数関数のなかのテイラー この技はさらに進む。テイラー級数は $$\begin{aligned} f(x+h)&=f(x)+h\,f'(x)\\ &\quad+\frac{h^2}{2!}f''(x)+\frac{h^3}{3!}f'''(x)+\cdots \end{aligned}$$と言う。$D$ を使えば、これは $$\begin{aligned} f(x+h)&=\Bigl(1+hD+\frac{(hD)^2}{2!}\\ &\qquad+\frac{(hD)^3}{3!}+\cdots\Bigr)f(x) \end{aligned}$$となる。括弧のなかの級数は、数のかわりに $hD$ を入れた指数関数の級数である。したがって $$f(x+h)=e^{hD}f(x).$$関数を $h$ だけずらすことは、それに導関数の指数関数を施すことである。こうした文は、字面どおりに読めばまったく意味をなさず、正しい結果を与える操作の規則として読めば完全に意味をなす。 ブールとヘヴィサイド オリヴァー・ヘヴィサイド(1850–1925)。独学のイギリスの技術者・物理学者で、証明の仕方を誰も知らないうちから、演算子法で電信回路の問題を解いた。作者不詳 · Wikimedia Commons · パブリックドメイン 1844 年、論理の代数のあのジョージ・ブールが、この「演算子の計算」について賞を受けた論文を発表した。しかしこの考えを極端まで推し進めたのは、独学の電信技手だったイギリスのオリヴァー・ヘヴィサイドである。1880 年代から 1890 年代にかけて、彼は $D$ を数として扱い、$D$ の平方根をとったり $D$ で割ったりして海底ケーブルの方程式を解き、正当化には頓着しなかった。

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dy/dx は分数か

微積分の先生はよく、二つのことを同時に言う。「$\frac{dy}{dx}$ は分数ではない」と「$du$ は分数のように約してよい」。どちらも正しく、それこそがライプニッツの記法の強さであり危うさである。それは分数のように見え、たいていの計算では分数のようにふるまう。似ていることがどこで通用し、どこで崩れるかを知ることは、数学を読むうえで最も繊細な能力の一つである。 うまくいくところ 連鎖律。 $y$ が $u$ に、$u$ が $x$ に依存するなら $$\frac{dy}{dx}=\frac{dy}{du}\cdot\frac{du}{dx}.$$$du$ が分数のように「約される」。$y=(x^2+1)^{10}$ で $u=x^2+1$ とすると、$\frac{dy}{du}=10u^9$、$\frac{du}{dx}=2x$ なので、$\frac{dy}{dx}=20x(x^2+1)^9$。 逆関数。 $y=e^x$ なら $x=\ln y$ で、 $$\frac{dx}{dy}=\frac{1}{dy/dx}=\frac1{e^x}=\frac1y.$$分数をひっくり返すと、$\ln y$ の導関数が出てくる。ほかの記法では定理を要する規則が、ここでは紙を裏返すだけで出てくる。 変数分離。 $\frac{dy}{dx}=ky$ では、$dx$ を「反対側へ移す」。 $$\frac{dy}{y}=k\,dx\quad\Longrightarrow\quad\ln y=kx+C\quad\Longrightarrow\quad y=Ce^{kx}.$$厳密な数学者は「反対側へ移す」に顔をしかめるが、結果は正しく、この種の計算ではいつも正しいことを保証する定理がある。 崩れるところ 2 階導関数。 $\frac{d^2y}{dx^2}$ という書き方は「$d^2y$ を $dx^2$ で割る」と言っているように見え、$\frac{d^2y}{dx^2}=\left(\frac{dy}{dx}\right)^2$ だと結論したくなる。$y=x^2$ では $\frac{d^2y}{dx^2}=2$ だが、$\left(\frac{dy}{dx}\right)^2=4x^2$。まったく関係がない。さらに悪いことに、2 階導関数の連鎖律は 2 階導関数どうしの積ではない。 $$\frac{d^2y}{dx^2}=\frac{d^2y}{du^2}\left(\frac{du}{dx}\right)^2+\frac{dy}{du}\cdot\frac{d^2u}{dx^2}$$で、どんな「約分」も予告しない項が一つ余計にある。 偏導関数。 理想気体では $pV=nRT$ である。三つの量のどれも、残りの二つの関数として書けて、偏導関数は $$\frac{\partial p}{\partial V}=-\frac{p}{V},\qquad\frac{\partial V}{\partial T}=\frac{nR}{p},\qquad\frac{\partial T}{\partial p}=\frac{V}{nR}.$$もし分数なら、積は約されて $1$ になるはずである。ところが $$\frac{\partial p}{\partial V}\cdot\frac{\partial V}{\partial T}\cdot\frac{\partial T}{\partial p}=-\frac pV\cdot\frac{nR}p\cdot\frac{V}{nR}=-1.$$マイナスは、記法が隠しているものから来る。それぞれの $\partial$ は別々の変数を固定しており、その変数は書かれていない。一つめの因子の $\partial p$ と三つめの因子の $\partial p$ は同じ対象ではない。物理学者はこれを知っていて、熱力学では固定する変数を添字で書く。$\left(\frac{\partial p}{\partial V}\right)_T$。

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Δ から d へ:縮んでいく差

ある車が午後 2 時に 120 キロ地点を、3 時に 210 キロ地点を通過した。平均の速さは $$\frac{\Delta s}{\Delta t}=\frac{210-120}{15-14}=90\ \text{km/h}$$である。ギリシア文字の大文字デルタ $\Delta$ は、ギリシア語の $D$ で、差(difference)を表す。$\Delta s$ は「デルタかける $s$」ではない。「$s$ がどれだけ変わったか」を意味する一つの記号である。物差しと時計があればできる、本物の数による計算である。 しかし速度計が示すのは一時間の平均の速さではない。今の速さである。そして「今」には長さがない。$\Delta t=0$ で、ゼロで割ることには意味がない。微積分はこの行き詰まりを極限への移行によって解き、その記法は形を変えずに移行についていく。 縮んでいく分数 $y=x^2$ と点 $x=a$ をとる。右へ $\Delta x$ 進むと、$y$ の変化は $$\Delta y=(a+\Delta x)^2-a^2=2a\,\Delta x+(\Delta x)^2,$$平均変化率は $$\frac{\Delta y}{\Delta x}=2a+\Delta x$$である。ここで $\Delta x$ を縮めていく。変化率は $2a$ に近づき、残りの $\Delta x$ は消える。残ったものにライプニッツの名がつく。 $$\frac{dy}{dx}=\lim_{\Delta x\to0}\frac{\Delta y}{\Delta x}=2a.$$記法が何をしたかに注目しよう。分数 $\frac{\Delta y}{\Delta x}$ が分数 $\frac{dy}{dx}$ になった。形は保たれ、ギリシア文字がラテン文字に替わっただけである。$d$ は縮んだ $\Delta$ なのである。この見た目の連続性は大きな強みである。有限の差の分数を扱える人は、すでに導関数の扱い方について直感をもっている。そしてこれは誤りの源でもある。導関数は二つの数の分数ではない。似ていることがどこで崩れるかは次の文章で示す。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。 Δy は dy ではない 現代の書き方では、$\Delta y$ と $dy$ は別のものであり、区別しておく価値がある。歩幅 $\Delta x$ に対して、

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導関数の四つの書き方

$y=x^3$ なら、導関数は $3x^2$ である。ここまでは誰もが同じように書く。違うのは、その導関数につける名前である。物理の本では $\dot y$、微積分の本では $\frac{dy}{dx}$ か $f'(x)$、微分方程式の本では $Dy$ と書かれている。同じ対象に四つの記号があり、どれもほかを打ち負かしてはいない。 四つの書き方 記法 考案者 時期 読み方 $\dot y$ アイザック・ニュートン 1660 年代、1704 年に出版 $y$ の流率、$y$ が時間とともに流れる速さ $\dfrac{dy}{dx}$ ゴットフリート・ライプニッツ 1675 年、1684 年に出版 無限に小さな二つの差の比 $f'(x)$ ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ 1797 年 $f$ の導関数の $x$ での値 $Df$ ルイ・アルボガスト 1800 年 関数 $f$ に施した演算子 $D$ ニュートンの点とライプニッツの $d$ の争いは、第1章のライプニッツと微積分ですでに語った。ここで問題にしたいのは別の問いである。それぞれの書き方は何を見せ、何を落としているのか。 それぞれが見せるもの ニュートンの点は、変数が時間であることを示す。$dt$ は書かれない。ニュートンにとって、すべての量は時間のなかを流れるからである。経済的な書き方で、$\ddot x$ は加速度、第二法則は $m\ddot x=F$ となる。しかし変数が時間でないとき、何について微分しているのかを言えない。だから物理学のなかでしか生き残らなかった。 ライプニッツの $\frac{dy}{dx}$ は二つの変数を見せる。何が変わるか($y$)と、何について変わるか($x$)。しかも分数の形をしているので、連鎖律のように計算がひとりでに進む。四つのなかで最も能動的な記法であり、同時に最も人を惑わす記法でもある。それがいつなのかは第3の文章で示す。 ラグランジュの $f'(x)$ は、導関数が $f$ から生まれた新しい関数であることを見せる。変化も、無限小も、時間も語らない。ある関数が別の関数を生むことだけを語る。それがまさにラグランジュの意図だった。 アルボガストの $D$ は、微分することが掛け算と同じ演算であることを見せる。$Df$ と書けば、数に対してすることを $D$ に対してもしたくなる。2 乗する、足す、因数分解する。それがどこまで行けるかは第4の文章で示す。

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参考文献と図版出典

さらに学ぶために ユークリッド。Os Elementos(『原論』)。Irineu Bicudo によるポルトガル語訳。São Paulo: Editora Unesp, 2009。公理と命題の構造。 プロクロス。A Commentary on the First Book of Euclid’s Elements. Glenn R. Morrow による英訳。Princeton: Princeton University Press, 1970。命題の六つの部分。 Frege, Gottlob. Über Sinn und Bedeutung. Zeitschrift für Philosophie und philosophische Kritik, 100, 1892, pp. 25–50。ブラジルでの翻訳:Lógica e filosofia da linguagem. São Paulo: Cultrix/Edusp, 1978。 Frege, Gottlob. Die Grundlagen der Arithmetik. Breslau: Koebner, 1884。ライプニッツの引用は §65。 Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. London: Kegan Paul, 1922。同一性については命題 5.53 から 5.5303。 Gauss, Carl Friedrich. Disquisitiones Arithmeticae. Leipzig: Gerhard Fleischer, 1801。合同の定義と記号 ≡ は第1条と第2条。 Pascal, Blaise. Traité du triangle arithmétique. Paris: Guillaume Desprez, 1665(1654 年執筆)。帰納法は帰結12に現れる。 Dijkstra, Edsger W.; Scholten, Carel S. Predicate Calculus and Program Semantics. New York: Springer, 1990。ヒントつきの証明の書式。 de Bruijn, Nicolaas G. Asymptotic Methods in Analysis. Amsterdam: North-Holland, 1958。ビッグ・オーの一方通行の等式。 Halmos, Paul R. I Want to Be a Mathematician: An Automathography. New York: Springer, 1985。$\blacksquare$ の由来。 Kieran, Carolyn. Concepts associated with the equality symbol. Educational Studies in Mathematics, 12, 1981, pp. 317–326。 Healy, Lulu; Hoyles, Celia. A study of proof conceptions in algebra. Journal for Research in Mathematics Education, 31(4), 2000, pp. 396–428。 Fischbein, Efraim. Intuition and proof. For the Learning of Mathematics, 3(2), 1982, pp. 9–18, 24。 Cajori, Florian. A History of Mathematical Notations. 全2巻。Chicago: Open Court, 1928–1929。ガウスとリーマンの ≡、ラーンの $\therefore$ について。 Earliest Uses of Symbols of Relation、Jeff Miller。 図版出典 図版 出典 ライセンス ゴットロープ・フレーゲの肖像、Emil Tesch 撮影(1905 年ごろ) Wikimedia Commons パブリックドメイン ガウス『整数論研究』(1801)の扉 Wikimedia Commons パブリックドメイン パスカル『算術三角形』(Triangulus Arithmeticus)の最初のページ、クレルモン・オーヴェルニュ・メトロポール遺産図書館所蔵 Wikimedia Commons CC BY-SA 4.0 奇数の和の図と対話型の図(合同の時計、方程式を解く段階)は、この本のために作成したもので、サイトの四つの言語すべてで動作する。ダウンロードした図版の記録と各ファイルのハッシュ値は data/semiotica_imagens.json にある。

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証明の読み方:手引きと用語集

この章では、等号を一行の計算から一つの証明全体まで追いかけた。以下の手引きは、その両方を読むのに役立つ問いをまとめたものである。 等号に向ける五つの問い 問うているのか、主張しているのか、名づけているのか。 問うているなら方程式で、することは解を見つけることだ。すべての値について主張しているなら恒等式で、することは証明することだ。名づけているなら定義で、することは受け入れて覚えておくことだ。 両辺の意義は同じか、それとも意味だけが同じか。 意義が同じなら、その等式は空っぽだ。違うなら何かを教えており、それが何かを問う価値がある。 本当の等しさか、それとも同値か。 $\frac12=\frac24$ は数としては等しさだが、分数としては同値である。$17\equiv2\pmod5$ は、二つの異なる数が同じ引き出しに入ることを言っている。 ここで一方の辺を他方に置き換えてよいか。 計算の中ならいつでもよい。誰かが知っていることや書いたことについての文の中では、いつもよいとは限らない。 三つの法則は成り立つか。 関係が対称でない($:=$、ビッグ・オーの $=$)か推移的でない($\approx$)なら、それは本当の等号ではなく、$A=B=C$ という鎖は働かなくなる。 証明に向ける五つの問い いったい何が主張されているのか。 言明とその文字を見つける。どれが任意で、どれが与えられたものか。 「とする」はどこにあるか。 そこで一般が特殊になる。言明が与えるもの以外に、特殊な場合について何も仮定されていないことを確かめる。 行と行をどんな矢印がつないでいるか。 $=$ と $\Leftrightarrow$ の鎖は両方向に読める。$\Rightarrow$ の鎖は、始めから終わりへしか通用しない。 それぞれの仮定はどこで開き、どこで閉じるか。 「仮定する」が出てくるたびに、それがどこで終わるかを探す。内側で導入された文字は、外側には存在しない。 何が省かれたか。 「容易にわかる」も、省略記号も、「同様に」も、どれも読み手が埋められるはずの一歩である。 短い証明の完全な読解 命題。 すべての整数 $n$ について、$n^3-n$ は $6$ で割り切れる。 証明。 $n$ を整数とする。このとき $n^3-n=(n-1)\,n\,(n+1)$ で、これは三つの連続する整数の積である。三つの連続する整数のうち、一つは $3$ の倍数であり、少なくとも一つは偶数である。ゆえにこの積は $2$ の倍数かつ $3$ の倍数であり、したがって $6$ の倍数である。$\blacksquare$ 言明はすべての整数について語っている。$n$ は一般化された数である。 **「$n$ を整数とする」**はユークリッドの提示である。整数であること以外、$n$ について何も仮定していない。 $n^3-n=(n-1)n(n+1)$ は恒等式で、鎖 $(n-1)n(n+1)=n(n^2-1)=n^3-n$ によって証明される。ここで等号は、ある書き方をより役に立つ意義をもつ書き方に取り替えている。因数分解した形は三つの連続する数を見せるが、もとの形は見せない。 **「三つの連続する整数のうち、一つは 3 の倍数である」**は、証明なしに持ち出された事実である。その背後には同値がある。$3$ を法とすると、三つの連続する数は引き出し $0$、$1$、$2$ に一つずつ入る。 **「ゆえに……したがって」**は二つの $\Rightarrow$ の段階を示している。二つめは、$2$ と $3$ が公約数をもたないことを使っており、これも省かれた事実である。 $\blacksquare$ が証明を閉じ、読み手を一般的な言明へ戻す。 用語集 等しさ。 同じ対象を指す二つの式のあいだの関係。反射的、対称的、推移的である。 意義と意味。 式の意味とはそれが指す対象であり、意義とはそれが対象を差し出す仕方である。$2^{10}$ と $1024$ は意味が同じで意義が異なる。 方程式。 文字を含み、問いとして読まれる等式。どの値で成り立つか。その解の集合が答えである。 恒等式。 文字のすべての値について成り立つ等式。$\equiv$ で書かれることもある。 定義。 式に名前をつける等式。$:=$ で書かれることもある。 同値関係。 反射的、対称的、推移的な関係。対象を同値類に分ける。 合同。 $m$ が $a-b$ を割り切るとき $a\equiv b\pmod m$。余りの同値関係で、1801 年にガウスが導入した。 含意。 $P\Rightarrow Q$:$P$ が正しいときはいつも $Q$ も正しい。 論理的同値。 $P\Leftrightarrow Q$:$P$ と $Q$ はちょうど同じ場合に正しい。「〜のときかつそのときに限り」と読む。 無縁解。 解く過程の最後に現れるが、もとの方程式を満たさない解。$\Leftrightarrow$ でない $\Rightarrow$ の段階によって入り込む。 計算的証明。 どの輪にも理由がついた等式の鎖。 背理法。 示したいことの否定を仮定して矛盾を導く証明。 数学的帰納法。 基底と帰納の段階の二つの部品で、ある主張がすべての自然数について成り立つことを示す証明。 反例。 一般的な主張が成り立たない一つの場合。一つあれば反駁には十分である。 Q.E.D. と $\blacksquare$。 証明の終わりのしるし。quod erat demonstrandum とハルモスの墓石。 練習:等号の手引きを使う$\displaystyle\cos2x=\cos^2x-\sin^2x$ を読め。これはすべての $x$ について主張している。恒等式である。両辺はどの $x$ についても意味は同じだが、意義が違う。左辺は 2 倍の角について、右辺はもとの角について語っている。方程式として読むと、「どの $x$ で成り立つか」という問いの答えは「すべて」になる。誰かが $\cos2x=1$ と書いたなら、そこには問いがあり、答えは $x=k\pi$($k$ は整数)である。

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例は証明しない:オイラー、パスカル、帰納法

$n=0,1,2,3,\ldots$ について $n^2+n+41$ を計算してみよう。 $$41,\ 43,\ 47,\ 53,\ 61,\ 71,\ 83,\ 97,\ 113,\ 131,\ \ldots$$すべて素数だ。$n=39$ まで続けても、結果の $1601$ はまだ素数である。四十の場合が続けて、一つの例外もない。1772 年、レオンハルト・オイラーはこの見事な式に注意を向けた。それでもこの式は素数だけを生むわけではない。$n=40$ では、 $$40^2+40+41=1600+40+41=1681=41^2.$$四十の例は何も証明しなかった。一つの反例がすべてを崩した。 例の誘惑 オイラーの多項式は孤立した珍品ではない。1640 年、ピエール・ド・フェルマーは、$2^{2^n}+1$ という形の数が $$3,\quad 5,\quad 17,\quad 257,\quad 65\,537$$となり、すべて素数であることに気づいて、この形の数はすべて素数だろうと予想した。1732 年、オイラーは次の数 $2^{32}+1=4\,294\,967\,297$ が $641\cdot6\,700\,417$ に等しいことを示した。今日にいたるまで、この形の素数はほかに一つも知られていない。 生徒たちも同じ誘惑を感じる。2000 年に発表された研究で、イギリスの研究者ルル・ヒーリーとセリア・ホイルズは、14〜15 歳の生徒約 2500 人に、「二つの偶数の和はいつも偶数である」という主張を支えるいくつかの論証を評価してもらった。多くの生徒は、例を確かめる論証($2+4=6$、$10+12=22$、……)を好んだ。理解できたからだ。同時に、$2a+2b=2(a+b)$ を使う代数的な論証こそ先生がいちばん高い点をつけるものだと考えていた。彼らにとって、代数的な証明は先生のためにする形式であり、本当に納得させてくれるのは例だった。 省略記号は規則を隠している このページでいちばん危険な記号は、いちばん目立たない記号、省略記号 $\ldots$ である。 $$1+3+5+\cdots+(2n-1)=n^2$$と書くとき、三つの点は、いくつかの項から規則を推測し、それを永遠に延ばすよう読み手に求めている。経済的な記法であると同時に、「パターンは続く」という約束でもある。だがオイラーの多項式は、パターンが続かなくなることがあると示している。 上の式は、最初のいくつかの場合なら簡単に確かめられる。$1=1^2$、$1+3=4=2^2$、$1+3+5=9=3^2$。図がその理由を示唆する。どの奇数も、一つの正方形を次の正方形に変える L 字形の層なのだ。 1 + 3 + 5 + 7 + 9 = 25 = 5²。どの奇数も、正方形の一辺を 1 だけ大きくする L 字形の層である。この本のために作成した説明図。 図には説得力があるが、それでも五つの層をもつ一枚の図にすぎない。「以下同様」を確実なものに変えるにはどうすればよいか。

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証明のことば:とする、仮定する、ゆえに、∎

次の短い証明を読んでほしい。 命題。 二つの偶数の和は偶数である。 証明。 $m$ と $n$ を偶数とする。このとき、$m=2a$、$n=2b$ となる整数 $a$、$b$ が存在する。ゆえに $m+n=2a+2b=2(a+b)$。$a+b$ は整数だから、$m+n$ は偶数である。$\blacksquare$ 計算を取り除くと、ことばの骨組みが残る。とする、このとき〜が存在する、ゆえに、だから、そして最後の小さな黒い四角。どれも計算するという意味での数学ではないが、どれも欠かせない。それぞれの行が何をしているのか――対象を導入する、帰結を引き出す、事実を持ち出す、締めくくる――を読み手に告げるのは、これらのことばなのだ。 ユークリッドの六つの部分 ギリシア人はすでに決まった構造で証明を書いていた。5 世紀の哲学者プロクロスは、『原論』の注釈で、ユークリッドの命題の六つの部分を記述している。 部分(ギリシア語) 役割 上の証明では prótasis、言明 何を証明するかを一般的に述べる 「二つの偶数の和は偶数である」 ékthesis、提示 一つの場合を選び、名前をつける 「$m$ と $n$ を偶数とする」 diorismós、特定 その場合について何を証明したいかを言う (暗黙)「$m+n$ は偶数」 kataskeué、構成 必要なものを付け加える 「$m=2a$、$n=2b$ となる $a$、$b$ が存在する」 apódeixis、論証 帰結をつなげる 「$m+n=2(a+b)$」 sympérasma、結論 一般的な言明に戻る 「$m+n$ は偶数である」 いちばん巧妙なのは提示だ。言明はすべての偶数について語っている。提示はそのうち二つ、$m$ と $n$ を選び、まるで特定の数であるかのように扱う。しかし偶数であること以外に何も仮定していないので、$m$ と $n$ について証明したことはどんな偶数についても成り立つ。「とする」ということばは、一般と特殊をつなぐ橋なのだ。これは第3章の一般化する文字が、証明の中で働きはじめた姿である。 示すべきことであった ユークリッドはどの命題も決まり文句で締めくくった。hóper édei deîxai、「これが示すべきことであった」。命題が作図の場合、たとえば第1章で紹介した正三角形の作図のような場合には、決まり文句は hóper édei poiêsai、「これがなすべきことであった」に変わる。ラテン語の翻訳者たちは二つを quod erat demonstrandum と quod erat faciendum と訳し、Q.E.D. と Q.E.F. と略した。

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等式の鎖:恒等式はどう証明されるか

すべての数 $a$、$b$ について $(a+b)^2=a^2+2ab+b^2$ であることは、どう証明するのか。値を試すことによってではない。どれだけ例を集めても、すべての数を覆うことはできない。証明は鎖を書くことで行う。 $$\begin{aligned} (a+b)^2&=(a+b)(a+b)\\ &=a(a+b)+b(a+b)\\ &=a^2+ab+ba+b^2\\ &=a^2+2ab+b^2. \end{aligned}$$どの等号も隣どうしをつなぎ、どの輪も既知の規則で保証されている。2 乗の定義、分配法則、もう一度分配法則、かけ算の交換法則。第1の文章で紹介したユークリッドの法則、推移律によって、最初の輪は最後の輪に等しい。証明とは、この鎖そのものである。 ラベルつきの鎖 ふつうの書き方では、理由は書き手の頭の中にとどまる。読み手は、なぜそれぞれの等号が成り立つのかを推測しなければならない。1980 年代、オランダの計算機科学者エドガー・ダイクストラと同僚のヴィム・ファイエンは、どの輪も波括弧の中に自分のラベルをもつ書式を提案した。 $$\begin{aligned} &(a+b)^2\\ =\;&\{\text{2 乗の定義}\}\\ &(a+b)(a+b)\\ =\;&\{\text{分配法則}\}\\ &a(a+b)+b(a+b)\\ =\;&\{\text{分配法則}\}\\ &a^2+ab+ba+b^2\\ =\;&\{\text{交換法則:}ba=ab\}\\ &a^2+2ab+b^2 \end{aligned}$$この書式は場所をとるが、そのぶん多くを語る。式の行と理由の行が交互に並び、等号は左の余白に置かれて、本来そうであるとおりの鎖の輪として目に見える。ダイクストラはこの書き方を計算的証明と呼んだ。証明するとは計算することであり、計算するとは、規則を見せながら等しいものを等しいものに置き換えることである。 どちらの辺から始めるか 恒等式を証明するための実用的な規則がある。複雑なほうの辺から始めよ。簡単にするほうが、どう複雑にするかを推測するよりやさしい。 $$\frac1k-\frac1{k+1}=\frac1{k(k+1)}$$を証明するには、二つの分数があってまとめてほしそうな左辺から始める。 $$\begin{aligned} \frac1k-\frac1{k+1}&=\frac{k+1}{k(k+1)}-\frac{k}{k(k+1)}\\ &=\frac{(k+1)-k}{k(k+1)}=\frac1{k(k+1)}. \end{aligned}$$右辺から始めるには、$1=(k+1)-k$ がよい考えだと前もって知っている必要がある。左辺からの証明は、それを途中で発見する。 終わりから出発するという誤り 証明のように見える誤り方がある。ある生徒が $-1=1$ を示したくて、こう書く。 $$-1=1\quad\Longrightarrow\quad(-1)^2=1^2\quad\Longrightarrow\quad1=1.$$「正しいものにたどり着いたから、最初の行は正しい」。そうではない。誤った文から出発した $\Rightarrow$ の鎖が、正しい文にたどり着くことはありうる。前の文章で解を増やす段階と呼んだものだ。示したいことから出発して $1=1$ や $0=0$ にたどり着いても、それが何かを証明するのはすべての段階が $\Leftrightarrow$ のときだけであり、それならむしろ、既知から未知へという正しい順序で鎖を書くほうがよい。 鎖の中で、等号は動詞である よく書かれた証明では、$=$ にははっきりした文法上の役割がある。文の述語である。「$(a+b)^2=(a+b)(a+b)$」は「$a+b$ の 2 乗は $a+b$ とそれ自身との積である」と読む。鎖が伸びて $A=B=C=D$ となっても、文には主語と述語がある。「$A$ は $B$ であり、それは $C$ であり、それは $D$ である」。第2章で扱った $5\cdot3=15+2=17$ のような誤りは、動詞を間違えた文である。生徒は「それから」と言いたいのに「である」と書いている。 練習:ラベルつきの鎖$(a-b)(a+b)=a^2-b^2$ をダイクストラの書式で証明せよ。 $$\begin{aligned} &(a-b)(a+b)\\ =\;&\{\text{分配法則}\}\\ &a(a+b)-b(a+b)\\ =\;&\{\text{分配法則}\}\\ &a^2+ab-ba-b^2\\ =\;&\{\text{交換法則:}ba=ab\text{、そして }ab-ab=0\}\\ &a^2-b^2 \end{aligned}$$

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⇒ と ⇔:方程式を変形するとき、何を得て何を失うか

方程式 $$\sqrt{x+2}=x$$を解いてみよう。ふつうのやり方は、両辺を 2 乗して根号をはずすことだ。 $$\begin{aligned} \sqrt{x+2}=x\quad&\Longrightarrow\quad x+2=x^2\\ &\Longrightarrow\quad (x-2)(x+1)=0\\ &\Longrightarrow\quad x=2\ \text{または}\ x=-1. \end{aligned}$$計算はすべて正しい。答えは正しくない。$x=2$ なら $\sqrt{4}=2$ で、方程式は成り立つ。$x=-1$ なら $\sqrt{1}=1$ で、$-1$ ではない。もとの方程式の解は一つなのに、この方法は二つ見つけた。この侵入者はどこから来たのか。 一行に一つの方程式 方程式を解く人は、数で計算しているのではない。方程式の列を書いているのであり、どの方程式も一つ前から得られる。ある行と次の行をつないでいるのは等号ではなく、命題についての主張、「これが正しければ、あれも正しい」である。論理学にはそのための記号が二つある。 $P\Rightarrow Q$、「$P$ ならば $Q$」:$P$ が正しいときはいつも $Q$ も正しい。しかし $P$ が正しくなくても $Q$ が正しいことはありうる。 $P\Leftrightarrow Q$、「$P$ と $Q$ は同値」:両者はちょうど同じ値について正しい。矢印は両方向に成り立つ。 方程式を解くとき、この違いは決定的だ。どの段階も $\Leftrightarrow$ なら、最後の行の解は最初の行とまったく同じである。ある段階が $\Rightarrow$ だけなら、最後の行には解が余分にあるかもしれない。ある段階が $\Leftarrow$ だけなら、解が足りないかもしれない。 両方向に成り立つ段階 いつでも逆にたどれる段階がある。 段階 なぜ戻れるか 両辺に同じ数を足す 引き戻せばよい 両辺にゼロでない同じ数をかける 割り戻せばよい 式を恒等的に等しい式に置き換える 恒等式は両方向に成り立つ $x\mapsto x^3$ や $x\mapsto e^x$ のような単射の関数を施す どの結果も一つの値からしか来ない そうでない段階もある。 段階 何が起こりうるか 両辺を 2 乗する 解が増える:$a=b$ から $a^2=b^2$ が出るが、$a=-b$ でも $a^2=b^2$ は成り立つ ゼロになりうる式をかける 解が増える:その式の零点 ゼロになりうる式で割る 解が失われる:その式の零点 冒頭の方程式では、2 乗する段階が変装した $\Rightarrow$ だった。方程式 $x+2=x^2$ は「$\sqrt{x+2}$ は $x$ に等しいか、それとも $-x$ に等しいか」という問いであり、$-1$ は後半に答えている。$\sqrt{1}=1=-(-1)$。この侵入者には名前がある。無縁解である。唯一の防ぎ方は、もとの方程式に戻って確かめることだ。

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同値:分数、時計、ガウスの ≡

$\frac12$ と $\frac24$ という書き方は違う。一方には数字 $1$ と $2$、もう一方には $2$ と $4$ がある。二つに切ったピザの一切れを食べるのと、四つに切ったピザの二切れを食べるのは同じことではない。切れ目が一本多い。それでも私たちはためらわずに書く。 $$\frac12=\frac24=\frac36=\frac{50}{100}.$$この等号が主張しているのは、書き方が等しいということでも、ピザが等しいということでもない。関心のあることについては、つまり食べた量については、区別がつかないということだ。 関心のあることについて等しい これが同値関係の仕事である。ある観点から見れば同じものとみなせる異なるものを、ひとまとめにすることだ。分数の場合、基準は $$\frac ab\sim\frac cd\quad\text{となるのは}\quad a\cdot d=b\cdot c\ \text{のとき}.$$$\frac12$ と $\frac24$ では、$1\cdot4=2\cdot2$。$\frac12$ と $\frac35$ では、$1\cdot5\neq2\cdot3$ で、二つの分数は同値ではない。 このような関係が等号に似た記号に値するのは、第1の文章で紹介した三つの法則、つまり反射律・対称律・推移律をもつときだけだ。それをもつとき、同値関係は見事なことをする。世界を類に分けるのだ。類は引き出しのようなもので、どの対象もちょうど一つの引き出しに入る。$\frac12$ と同値な分数はすべて一つの引き出しに、$\frac13$ と同値な分数はすべて別の引き出しに入る。 ここで、19 世紀の数学がはっきりさせた考えが出てくる。有理数とは引き出しのほうであって、分数ではない。$\frac12$、$\frac24$、$\frac36$ は、ただ一つの対象、すなわち類全体の、別々の名前である。これはフレーゲの意義と意味の区別を反対側から見たものだ。対象から出発してその名前を見つけるのではなく、名前から出発し、同値なものどうしを集めて対象を組み立てる。 時計 同値のいちばん身近な例は手首にある。$15$ 時に、短針は $3$ を指している。$13$ 時間後、時計は $3+13=16$ のところに進み、$16$ は $4$ として表示される。短針にとって、$3$、$15$、$27$、$-9$ はみな同じだ。どれも $12$ の倍数だけ違う。 『整数論研究』(1801)の扉。24 歳のカール・フリードリヒ・ガウスは、この本で合同と記号 ≡ を導入した。Carl Friedrich Gauss · Wikimedia Commons · パブリックドメイン 1801 年、カール・フリードリヒ・ガウスは『整数論研究』(Disquisitiones Arithmeticae)の冒頭で、この考えに名前と定義と記号を与えた。二つの数の差が $m$ で割り切れるとき、それらは $m$ を法として合同である。そして彼はこう書いた。

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方程式、恒等式、定義:同じ記号の三つの仕事

同じ文字 $f$ と、三つの文。 $$f(x)=x^2,\qquad f(x)=x\cdot x,\qquad f(x)=4.$$一つめは名前をつける。ここから先、$f$ は 2 乗する関数である。二つめは法則を述べる。どの $x$ についても、$f$ の値は $x$ かける $x$ だ。三つめは問いを立てる。どの $x$ で関数の値が $4$ になるか。答えは $x=2$ または $x=-2$。 三つの記号はまったく同じだ。読み手のすべきことは同じではない。 種類 答える問い それをどう扱うか 例 方程式 どの値で成り立つか 解く $x^2=4$ 恒等式 すべての値で成り立つか 証明する $(x-2)(x+2)=x^2-4$ 定義 この名前は何を意味するか 受け入れる $n!=1\cdot2\cdots n$ 定義には真も偽もない。名づけである。$n!=1\cdot2\cdots n$ を「証明する」のは、誰かの名前がマリアであることを証明するのと同じく意味をなさない。反対に、恒等式は証明しなければならず、方程式は解かなければならない。三つの仕事を取り違える人は、正しいことを間違った相手に対してしている。 知らせようとする記号 何世紀ものあいだに、何人もの数学者がそれぞれの仕事に専用の記号を与えようとした。 恒等式のための $\equiv$。 歴史家フロリアン・カジョリによれば、ベルンハルト・リーマンは 1857 年にはすでに「すべての値について等しい」という意味でこれを使っていた。物理や工学の本には今も現れる。$\sin^2x+\cos^2x\equiv1$。 定義のための $:=$。 コロンは新しい名前の側に置く。$f(x):=x^2$ は「$f(x)$ を $x^2$ と定義する」と読む。この記号はプログラミング言語(そこでは代入を表す)とともに広まり、20 世紀の終わりに数学の本へも入ってきた。 $\overset{\text{def}}{=}$ や $\stackrel{\triangle}{=}$。 等号の上に「定義」という語をのせた変種。より明示的だが、あまり使われない。 どれも決定的には勝たなかった。たいていの本は今もすべてに $=$ を書き、文脈に頼っている。「とする」「定義する」「すべての〜について」「解け」といったことばが、記号のしない仕事をしている。統語論が言わないことを、モリスの意味での語用論にまかせる記法の典型的な例である(第2章を参照)。 「新入生の夢」を方程式として読む 代数で最も有名な誤りの一つは、 $$(a+b)^2=a^2+b^2$$と書くことだ。英語ではあだ名まであり、freshman’s dream、「新入生の夢」と呼ばれる。恒等式としては、この文は誤りだ。$a=b=1$ とすると、左辺は $4$、右辺は $2$ になる。だが、これを方程式として、つまり $a$ と $b$ についての問いとして読むと何が起きるか見てみよう。