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一般相対性理論:エレベーターからソブラルの日食へ

ベルンの特許局で椅子に座っていると、突然ある考えが浮かんだ。人が自由に落ちているなら、その人は自分の重さを感じないだろう。私ははっとした。この単純な考えは私に深い印象を与え、重力の理論へと私を駆りたてた。 — アルベルト・アインシュタイン、1907 年の着想について 1905 年の相対性理論には欠点がありました。重力が入っていないのです。ニュートンの法則では、太陽は 1 億 5 千万キロメートルをへだてて瞬時に地球を引きます。一方、相対性理論では、光より速く伝わるものはありません。アインシュタインはこれを直すのに八年かけました。出発点は、彼が「生涯で最も幸せな考え」と呼んだものでした。 落ちるエレベーター ケーブルが切れたエレベーターのなかにいると想像してください。あなたもエレベーターのなかのすべても、同じ加速度でいっしょに落ちます。リンゴから手をはなすと、リンゴは目の前に浮かんでいます。エレベーターのなかでは、まるで重力がないかのようです。宇宙ステーションの宇宙飛行士はいつもこれを体験しています。彼らが浮かんでいるのは地球から遠いからではなく、地球のまわりを落ちつづけているからです。 逆も成り立ちます。何もない宇宙空間で $9.8$ m/s² で加速しているロケットのなかでは、地球にいるときとまったく同じように、足が床に押しつけられるのを感じます。小さな部屋のなかで行うどんな実験でも、重力と加速を区別することはできません。これが 等価原理 です。 さて、加速しているロケットのなかで、懐中電灯を水平に照らします。光が部屋を横切るあいだにロケットは上に進むので、光は出発点より少し下で反対側の壁に届きます。ロケットのなかでは、光は曲がって進むのです。重力が加速と区別できないなら、重力も光を曲げる はずです。 重力は幾何学である アインシュタインはこの考えを極限までおし進めました。重力は力ではなく、空間と時間の形 だというのです。太陽のような大きな質量はまわりの時空をゆがめ、光も含めて自由に落ちる物体は、そのゆがんだ空間のなかでできるかぎりまっすぐな線、測地線 をたどるだけです。地球が太陽のまわりを回るのは引っぱられているからではなく、太陽にゆがめられた空間のなかを「まっすぐ」進んでいるからなのです。 これを書きあらわすために、アインシュタインには、ガウス が始めリーマンが一般化した曲がった空間の幾何学が必要でしたが、彼はそれを知りませんでした。友人マルセル・グロスマンに助けを求め、何年も試行錯誤を重ねました。1915 年 11 月 25 日、彼はプロイセン科学アカデミーに 場の方程式 を提出します。 $$G_{\mu\nu}=\frac{8\pi G}{c^4}\,T_{\mu\nu}.$$左辺の $G_{\mu\nu}$ は時空の 曲率 を、右辺の $T_{\mu\nu}$ はそこにある 物質とエネルギー を表します。物理学者ジョン・ホイーラーはこうまとめました。「物質は空間にどう曲がるかを教え、空間は物質にどう動くかを教える」。十本の方程式がからみあっていて、解くのはむずかしいのですが、弱い重力場ではニュートンの重力の法則に戻ります。 最初の検証:水星 水星の軌道は、完全に固定された楕円ではありません。楕円そのものが太陽のまわりをゆっくり回っているのです。この回転のほとんどはほかの惑星の引力で説明できますが、ニュートンの物理学では説明できない 一世紀に 43 秒角 のずれが残っていました。水星と太陽のあいだに目に見えない惑星ヴァルカンがあると唱える人もいました。 1915 年 11 月、アインシュタインは自分の方程式でこの効果を計算し、ちょうど一世紀に 43 秒角を得ました。彼はある友人に、何日も「うれしさで我を忘れた」と書き、胸の鼓動が速まるのを感じたと述べています。 二つ目の検証:曲がる光 太陽のすれすれを通る光について、理論は次の曲がりを予言していました。 $$\alpha=\frac{4GM_\odot}{R_\odot c^2}.$$$GM_\odot\approx1.327\times10^{20}$ m³/s²、太陽の半径 $R_\odot\approx6.96\times10^8$ m とすると、 $$\alpha\approx\frac{4\cdot1.327\times10^{20}}{6.96\times10^8\cdot9\times10^{16}}\approx8.5\times10^{-6}\ \text{rad}\approx1.75''.$$3 km 先から見た硬貨くらいの大きさです。これを測るには、太陽のすぐ横に見える星を撮影し、何か月かのち、太陽が空の別の場所に移った夜に、その星の位置とくらべなければなりません。けれども、太陽の横の星が見えるのは 皆既日食 のときだけです。 1919 年 5 月 29 日の日食にそなえて、セアラー州ソブラルに据えられたイギリス観測隊の望遠鏡。Charles Davidson · Wikimedia Commons · パブリックドメイン ソブラル、1919 年 5 月 29 日 1919 年 5 月 29 日の日食は理想的でした。太陽が明るい星の集まり、ヒアデス星団の前にくるのです。皆既帯はブラジル北部とアフリカの沿岸を通っていました。イギリス王立天文学会は二つの観測隊を送りました。アーサー・エディントンはギニア湾のプリンシペ島へ、アンドルー・クロンメリンとチャールズ・デイヴィッドソンはセアラー州の ソブラル へ。リオデジャネイロの国立天文台の天文学者たちも、太陽のコロナを調べるためにソブラルにいました。

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黄金の定理:大数の法則

どんなに愚かな人でも、ある自然の本能によって、ひとりで、なんの教えも受けずに、観察を重ねれば重ねるほど的をはずす危険は小さくなると確信している。 — ヤコブ・ベルヌーイ『推測術』(1713)第四部 サイコロなら、それぞれの目の確率は前もってわかっています。$\frac16$ です。けれども、40 歳の男性があと二十年生きる確率は?明日雨が降る確率は?薬が効く確率は?こうした場合には、数えられる同じ面がありません。ヤコブは別の道を提案しました。何度も観察し、頻度を確率の推定に使うのです。40 歳の男性のうち半分が 60 歳まで生きたなら、その確率は半分に近いはずです。 上の引用が言うとおり、だれもがすでにそう考えていました。ヤコブの問いはもっと深いものでした。それは 証明 できるのか。観察の数が増えると、頻度はほんとうに確率に近づくのか、それとも誤差はいつまでも大きいままでありうるのか。実際上の確実さを得るには、何回の観察が必要なのか。彼は答えるのに二十年かかり、その結果をたいへん誇りにして 黄金の定理 と呼びました。 壺 ヤコブは、白い石 3 000 個と黒い石 2 000 個の入った、中の見えない壺で問題を立てました。中をのぞけない人が、白い石の割合、つまり $\frac35$ を知りたいとします。そのために石をひとつ取り出し、色を記録して戻し、これをくり返します。 $n$ 回取り出して白が $S_n$ 回なら、観察された頻度は $\frac{S_n}n$ です。正確な問いはこうなります。頻度が $\frac{29}{50}$ と $\frac{31}{50}$ のあいだ、つまり $\frac35$ との差が $\frac1{50}$ 未満になることが 道徳的に確実、すなわち $\frac{1000}{1001}$ 以上の確率で成り立つには、何回取り出せばよいか。 定理が言うこと ヤコブの答えには二つの部分があります。第一は定性的なものです。どんなに小さな誤差の幅 $\varepsilon$ をとっても、頻度が $p$ から $\varepsilon$ より大きくずれる確率は、$n$ が大きくなると 0 に近づく。今日のことばでは、 $$\boxed{\lim_{n\to\infty}P\left(\left|\frac{S_n}n-p\right|>\varepsilon\right)=0.}$$これが 大数の法則 の最初の形で、この名は 1837 年にポアソンがつけました。第二の部分は数値的なものです。ヤコブは、この壺なら 25 550 回 の取り出しで道徳的確実さに足りると計算しました。 硬貨投げのシミュレーション。はじめは表の割合が大きくゆれるが、数千回投げると 1/2 に近づく。横軸は対数目盛り。Euler’s Eyes 作図 今日の道具による証明 ヤコブの証明は、二項展開の項のあいだの不等式に何章も費やしています。今日では、ロシアのパフヌティ・チェビシェフが 1867 年に発表した不等式を使えば、同じ考えが数行で書けます。

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神秘の六角形:円錐曲線上の六つの点

1640 年 2 月、片面だけに印刷された、ポスターのような一枚の紙がパリで出回りました。題は『円錐曲線試論』。証明はなく、定義と三つの補題、そして結果の一覧だけが載っていました。著者は 16 歳で、名前はブレーズ・パスカルといいました。 メルセンヌ神父がこの紙をデカルトに見せると、デカルトは疑いました。この若者は、パスカルが敬愛していた建築家で幾何学者のジラール・デザルグから、すべてを借りてきたのだろうと考えたのです。デザルグの影響は確かにあり、パスカル自身もそれを認めていました。しかし、この紙の中心にある結果は新しいものでした。 円錐曲線 円錐を平面で切ってみましょう。傾きによって、切り口のふちは楕円、放物線、双曲線のいずれかになります。円は楕円の特別な場合です。これらの曲線、円錐曲線は、紀元前 3 世紀のアポロニオスの時代から研究されてきました。 デザルグは、この分野を変える発想をもっていました。円錐曲線を円の影として見るのです。懐中電灯で円を照らすと、壁に映る影は楕円にも放物線にも双曲線にもなります。ですから、円の性質のうち、距離や角度を測らずに点と直線だけで語れるものは、影の中でも生き残り、すべての円錐曲線について成り立ちます。これが射影幾何学の考え方です。 六角形の定理 円錐曲線上に六つの点 $A,B,C,D,E,F$ をこの順にとり、結んで六角形を作ります。向かい合う辺は $AB$ と $DE$、$BC$ と $EF$、$CD$ と $FA$ です。それぞれの組を交わるまで延ばします。 $$P=AB\cap DE,\qquad Q=BC\cap EF,\qquad R=CD\cap FA.$$パスカルの定理によれば、三点 $P$、$Q$、$R$ はいつも一直線上にあります。 六つの点は曲線上でどんな順番に並んでいてもよく、六角形は自分自身と交差していてもかまいません。向かい合う二辺が平行なら、それらは「無限遠点」で交わり、直線はそれらと平行になります。パスカルはこの図形を神秘の六角形と呼びました。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。 四百の系 メルセンヌによれば、パスカルはこのたった一つの定理から約四百の系を導き、その中にはアポロニオスの円錐曲線論のほとんどすべてが含まれていました。彼は 1654 年ごろ、完全な論文を書き上げました。1676 年、ライプニッツはパリでその原稿を読み、すばらしいと考えて一家に出版を勧めました。しかし誰も出版せず、論文は失われてしまいました。 放物線で確かめる 計算で定理を確かめてみましょう。放物線 $y=x^2$ 上に、$x$ 座標が $0,1,2,3,4,7$ の六つの点をとります。 $$A=(0,0),\ B=(1,1),\ C=(2,4),\ D=(3,9),\ E=(4,16),\ F=(7,49).$$まず近道を一つ。放物線上の $x$ 座標が $u$ と $v$ の二点を通る直線は $$y=(u+v)x-uv.$$です。実際、$x=u$ では $u^2+uv-uv=u^2$、$x=v$ では $v^2$ になります。では三つの交点を計算しましょう。

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フェルマーとパスカル:中断した勝負の公平な分配

二人のプレイヤーが同じ額を賭けて、何回戦かの勝負をします。先に決められた回数だけ勝った人が全額をもらいます。途中で、勝負を中断しなければならなくなりました。お金はどう分ければ公平でしょうか? これが分配問題(点の問題)です。単純に見えますが、150 年以上も数学者たちを悩ませました。 まちがった答え 1494 年、イタリアの修道士ルカ・パチョーリは、すでに勝った回数に比例して賞金を分けることを提案しました。A が 2 回、B が 1 回勝っていれば、A が $\frac23$ をもらう、と。 もっともらしく聞こえますが、そうではありません。100 勝先取の勝負が、A の 1 対 0 のリードで中断したとしましょう。パチョーリの規則では A が全額をもらいます。でも勝負は始まったばかりで、B が勝つ見込みもほとんど同じでした。大事なのはすでに起きたことではなく、これから起こりうることなのです。 1654 年の手紙 この問題は、賭け事好きのフランス貴族シュヴァリエ・ド・メレを通じてブレーズ・パスカルのもとに届きました。パスカルはトゥールーズのフェルマーに手紙を書き、1654 年の夏、二人は一連の手紙を交わしました。それぞれが別の道で答えを見つけました。パスカルは結果から逆にたどる段階的な推論で、フェルマーはすべての可能性を数え上げることで。 二つの方法が同じ答えを出したのを見て、パスカルはこう書きました。 真理はトゥールーズでもパリでも同じであることが、よくわかります。 — ブレーズ・パスカル、フェルマーへの手紙(1654 年 7 月 29 日) フェルマーの方法:未来を数える 各回はコイン投げのようなもので、どちらのプレイヤーもその回に勝つ見込みは $\frac12$ だとします。勝負が中断したとき、A はあと 1 勝、B はあと 2 勝必要です。 フェルマーはこう考えました。あと2 回やれば、必ず誰かが勝っている。だから、1 回目で勝負が決まっても、2 回とも行うと想定する。起こりうる結果(すべて同じ確率)は、 回 勝者 A A A A B A B A A B B B 4 通りのうち A が 3 通り、B が 1 通りで勝ちます。確率は

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ライプニッツの機械:計算を動きに変える

1642 年、若きブレーズ・パスカルは、徴税官だった父を助けるために機械を作りました。この「パスカリーヌ」は歯車を回して足し算と引き算をしました。しかし掛け算をするには、足し算を手で何度もくり返さなければなりませんでした。 ライプニッツはパリでパスカリーヌを見て、さらに先へ進みたいと考えました。ひとりでに掛け算と割り算をする機械です。 掛け算は足し算と桁送り こつは学校で習う筆算と同じです。$23\times14$ を計算するには、14 を $4+10$ に分けます。 $$23\times14=23\times4+23\times10=92+230=322.$$4 を掛けるとは 23 を 4 回足すこと。10 を掛けるとは、数を 1 桁左にずらすだけです。だから、足し算が得意で桁送りもできる機械なら、どんな掛け算でもできるのです。 23 × 14 を 23 × 4 と 23 × 10 に分解する。図は計算を説明するもので、歴史上の機械の複製ではない。ブログのオリジナル図版。 段付き円筒 段つき円筒をそなえたライプニッツの計算機。ドレスデンの技術コレクションに展示されているもの。当時つくられたのは 2 台だけで、現存する唯一の 1 台はハノーファーのゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ図書館にある。Kolossos · Wikimedia Commons · CC BY-SA 3.0 問題は、操作する人がもう一度入力しなくても、同じ数を何回も足せるようにすることでした。ライプニッツの解決策は段付き円筒(ドイツ語で Staffelwalze)でした。長さの違う 9 本の歯をもつ円筒で、階段が巻きついたような形をしています。 小さな歯車が円筒の横をすべります。歯車が「3」の高さにあれば、円筒が 1 回転するごとに 3 本の歯だけがかみ合い、歯車は 3 目盛り回ります。「7」の高さなら 7 目盛り回ります。つまり歯車の位置を合わせることで、機械に数字を記憶させるのです。クランクを 1 回まわすごとに、その数字がもう一度足されます。

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運動の法則:力と速度の変化

アリストテレスによれば、物体は何かに押されている間だけ動きます。荷車を押すのをやめれば、荷車は止まる。当たり前に思えますし、実際 2000 年近く受け入れられてきました。 ガリレオは疑問を持ちました。斜面に球を転がしてみて、表面がなめらかなほど球が遠くまで転がることに気づいたのです。摩擦がまったくなければ、球は決して止まらないでしょう。デカルトも同じような考えにたどり着きました。ニュートンはこれらの手がかりをまとめ、1687 年の『プリンキピア』に、力学全体の土台となる三つの法則を書きました。 1687 年の『プリンキピア』初版の扉。アイザック・ニュートン · Wikimedia Commons · パブリックドメイン。 この本はラテン語で書かれ、証明はほとんどユークリッド流の幾何学だけを使っています。ニュートンはすでに流率法を持っていましたが、読者が異論なく受け入れる言葉を選んだのです。法則は冒頭に、公理として現れます。 第一法則:慣性 すべての物体は、加えられた力によってその状態を変えられない限り、静止の状態、または直線上の一様な運動の状態を続ける。 — 『プリンキピア』法則 I 荷車が止まるのは摩擦が減速させるからで、動くのに「疲れた」からではありません。宇宙で、何もないところでは、エンジンを止めた探査機は何百万キロもまっすぐ進みます。1977 年に打ち上げられ、今も太陽から遠ざかり続けている探査機ボイジャーがその例です。 この教訓は直感に反します。力は運動を維持するものではなく、運動を変えるものなのです。 第二法則:力と加速度 運動の変化は加えられた起動力に比例し、その力が加えられた直線の方向に起こる。 — 『プリンキピア』法則 II ニュートンが「運動」と呼んだのは、今日の運動量、つまり質量×速度のことです。質量が変わらなければ、この法則はおなじみの式になります。 $$\sum\vec F=m\,\vec a.$$$\sum$ は、大事なのはすべての力の合計だということを思い出させます。10 N の力が 2 kg の物体を右に押し、4 N の摩擦が左に引くなら、合力は右向き 6 N で、 $$a=\frac{6}{2}=3\ \text{m/s}^2.$$流率の言葉で言えば、加速度は $\ddot x$、位置の流率の流率です。すると第二法則は $m\ddot x=F$ という微分方程式になります。力がわかれば、運動全体を一瞬一瞬計算できます。これこそが、ニュートン力学を予測の機械にしているのです。 第三法則:作用と反作用 すべての作用には、つねに等しい反作用が逆向きにはたらく。 — 『プリンキピア』法則 III 壁を押すと、壁は同じ大きさの力であなたを押し返します。泳ぐ人が水を後ろに押すと、水は人を前に押します。ロケットも同じで、ガスを下に噴き出し、ガスがロケットを上に押します。 よくある混乱:力が等しく逆向きなら、なぜ打ち消し合わないのでしょうか? それは別々の物体にはたらくからです。あなたが加える力は壁に、壁が加える力はあなたにはたらきます。あなたが加速するかどうかを知るには、あなたにはたらく力だけを数えます。 彼の名をとった単位 国際単位系では、力の単位はニュートン(N)と呼ばれます。1 ニュートンは、1 kg の物体に 1 m/s² の加速度を与える力です。ふつうのリンゴの重さはおよそ 1 N。物理の先生が大好きな偶然です。 三法則の射程 この三つの文に万有引力の法則を加えて、『プリンキピア』は物体の落下、投射体の運動、潮の満ち引き、月の軌道、地球が両極でつぶれていることを説明しました。今でも、橋の設計、人工衛星の軌道計算、自動車の衝突シミュレーションに使われているのはこれらの法則です。

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導関数と積分

『解析教程』の二年後、コーシーは『王立エコール・ポリテクニークにおける無限小計算講義要録』(1823)を出版した。四十の短い講義で、彼は微分学と積分学を極限の考えで建て直した。これは本質的に、微積分の教科書が今日でもしたがっている筋道である。 導関数 ラグランジュにとって、$f$ の導関数とは、$f(x + i)$ のべき級数における $i$ の係数だった。コーシーはそれを極限として定義した。 $$f'(x) = \lim_{i \to 0} \frac{f(x + i) - f(x)}{i}.$$$f(x) = x^2$ なら、$\frac{(x + i)^2 - x^2}{i} = \frac{2xi + i^2}{i} = 2x + i$ で、これは $2x$ に向かう。$i$ が「無限に小さい」と仮定する必要も、何かを捨てる必要もない。$i \neq 0$ で商を計算し、それがどこへ向かうかを見ればよい。 積分 それまで、積分するとはおもに原始関数を見つけることだった。積分は微分の逆だったのである。コーシーは順序を逆にし、積分を直接定義した。$f$ が $[x_0, X]$ で連続なとき、区間を点 $x_0 < x_1 < \cdots < x_n = X$ で分け、和 $$S = (x_1 - x_0) f(x_0) + (x_2 - x_1) f(x_1) + \cdots + (X - x_{n-1}) f(x_{n-1})$$をつくる。コーシーは、すべての小区間が小さくなるとき、$S$ が区間の分け方によらない極限に近づくことを証明した。この極限が積分 $\int_{x_0}^{X} f(x)\,dx$ である。三十年後、リーマンはこの定義を不連続な関数にまで広げ、各小区間で任意の点を選べるようにした。

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素数を数える

素数はでたらめに現れるように見える。2、3、5、7、11、13、それから 17、19、23 まで間があき、29 までまた間があく。しかし遠くから眺めると、素数はある規則に従っている。$x$ 以下の素数の個数を $\pi(x)$ と書こう。まだ十代だったガウスは表を見ながら、数 $x$ の近くでは素数の密度がおよそ $\frac{1}{\ln x}$ であることに気づき、次の見積もりを提案した。 $$\pi(x) \approx \operatorname{li}(x) = \int_0^x \frac{dt}{\ln t}.$$これが対数積分である。それがよい見積もりであることを証明する方法も、ずれを説明する方法も、誰も知らなかった。 八ページの論文 1859 年 11 月、ベルリン・アカデミーの会員に選ばれたリーマンは、数論についてのただ一つの論文『与えられた数より小さい素数の個数について』を送った。わずか八ページである。そのなかでリーマンは、ゼータ関数とオイラー積を使って、素数の個数の正確な公式を書いた。 この考えのいちばんすっきりした形では、リーマンが $f(x)$ と呼んだ少し修正した数え方を使う。素数は重み 1、素数の平方は重み $\frac{1}{2}$、立方は重み $\frac{1}{3}$、以下同様に数えるのである。リーマンの公式は $$f(x) = \operatorname{li}(x) - \sum_{\rho}\operatorname{li}(x^{\rho}) - \ln 2 + \int_x^{\infty}\frac{dt}{t(t^2 - 1)\ln t}$$と述べる。ここで和はゼータ関数の非自明な零点 $\rho$ すべてにわたる。第一項がガウスの見積もりで、最後の二項は小さい。なめらかな曲線 $\operatorname{li}(x)$ と素数のでこぼこした階段とを隔てているのは、零点にわたる和なのである。 零点の波 各零点 $\rho = \frac{1}{2} + i\gamma$(リーマン予想を仮定する)は、大きさがおよそ $\frac{\sqrt{x}}{\ln x}$ で、振動数 $\gamma$ で波打つ振動を寄与する。零点は楽器の音のようにはたらく。それをどんどん足していくと、なめらかな曲線が折れ曲がり、ついには素数の階段を一段ずつ再現する。ゼータの零点は「素数の音楽」を秘めているといわれるのはこのためである。 重みつきの数え方をもとにもどして、リーマンは本当の個数の近似として次の関数を得た。 $$R(x) = \sum_{n=1}^{\infty}\frac{\mu(n)}{n}\operatorname{li}\!\left(x^{1/n}\right) = \operatorname{li}(x) - \frac{1}{2}\operatorname{li}\!\left(\sqrt{x}\right) - \frac{1}{3}\operatorname{li}\!\left(\sqrt[3]{x}\right) - \cdots.$$ここで $\mu$ はメビウス関数である。これは $\operatorname{li}(x)$ よりずっとよい。

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古典的確率とガウス積分

数学的な確率は賭けごとから、1654 年のパスカルとフェルマーの往復書簡から始まり、ヤコブ・ベルヌーイの大数の法則で最初の大定理を得た。ラプラスはそれを完全な理論に仕立てた。このテーマについての彼の最初の論文は 1774 年のものである。1812 年の『確率の解析的理論』は四十年近い研究を集大成し、1814 年の『確率の哲学的試論』はそのすべてを数式なしで一般の人びとに説明した。 『確率の哲学的試論』1840 年版の扉。Pierre-Simon Laplace · Wikimedia Commons · パブリックドメイン 古典的な定義 偶然の理論とは、同じ種類のすべての事象を、同じ程度に可能な、すなわちそれが起こるかどうかについて私たちが同じ程度に決めかねているような、ある数の場合に帰着させ、確率を求めている事象に有利な場合の数を定めることにある。 — ピエール=シモン・ラプラス『確率の哲学的試論』(1814) 学校で習う定義である。 $$P = \frac{\text{有利な場合の数}}{\text{可能な場合の数}}.$$微妙なのは「同じ程度に可能な」という言葉である。サイコロを二つ振ると、目の和は 2 から 12 まで 11 通りあるが、それらは同じ程度に起こりやすいわけではない。同じ程度に可能な場合は、(一つ目、二つ目)の 36 通りの組である。和が 7 になるのはそのうち (1, 6) から (6, 1) までの 6 通りで、確率は $\frac{6}{36} = \frac{1}{6}$ である。和が 2 になるのは (1, 1) だけで、確率は $\frac{1}{36}$ である。 e の −x² 乗の積分 多くの偶然の和を研究するなかで、ラプラスは統計学のいたるところに現れる積分を必要とした。 $$\int_{-\infty}^{\infty} e^{-x^2}\,dx = \sqrt{\pi}.$$アブラーム・ド・モアブルは 1733 年にすでにこの結果を数値の形で使っていたが、証明したのは 1774 年のラプラスである。いちばん美しい証明はひとつの工夫による。積分 $I$ を直接求めるかわりに、平面上の積分になる $I^2$ を求めるのである。

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『方法』とパリンプセスト

アルキメデスの本には完璧な証明が書かれているが、どうやって結果にたどり着いたかは書かれていない。何世紀ものあいだ、数学者たちは彼に秘密の方法があったのではないかと疑ってきた。その疑いは正しく、方法はもっとも思いがけない場所で見つかった。 エラトステネスへの手紙 あることがらは、まず力学的な方法によって私に明らかになったが、そのあとで幾何学によって証明されねばならなかった。この方法による探究は証明を与えないからである。しかし、この方法によって問題についていくらかの知識を得てからのほうが、何も知らないときより証明を見つけるのはずっとやさしい。 — アルキメデス『方法』、エラトステネスへの手紙 『力学的定理の方法』と呼ばれる論考は、地理学者キュレネのエラトステネスにあてた手紙である。そのなかでアルキメデスは自分のやり方を明かしている。図形を無限に多くのごく薄い切片からできているものと考え、それらをてこの上ではかり、既知の図形の切片と一枚ずつくらべるのである。 球をはかる いちばん美しい例は球である。半径 $r$ の球と、底面の半径 $2r$、高さ $2r$ の円錐と円柱を、軸がてこの腕にそうように置く。支点から距離 $x$ のところで、すべてを腕に垂直な平面で切る。少し幾何学を使うと、球の切り口の面積は $\pi\left(2rx - x^2\right)$、円錐は $\pi x^2$、円柱は $\pi (2r)^2 = 4\pi r^2$ である。したがって $$\text{球の切り口} + \text{円錐の切り口} = \pi \cdot 2rx.$$アルキメデスは球と円錐の切り口を、てこの反対側の支点から距離 $2r$ のところへ移し、円柱の切り口は距離 $x$ のもとの場所に残す。モーメントは等しい。 $$2r \cdot \pi \cdot 2rx = x \cdot 4\pi r^2.$$これがどの切片についても成り立つので、距離 $2r$ につるした球と円錐の全体は、重心が距離 $r$ にある円柱全体とつりあう。てこの法則により $$2r\,(V_{\text{球}} + V_{\text{円錐}}) = r\,V_{\text{円柱}} \quad\Longrightarrow\quad V_{\text{球}} = \frac{1}{2}\cdot 8\pi r^3 - \frac{8}{3}\pi r^3 = \frac{4}{3}\pi r^3.$$これはまさに、彼がのちに球と円柱で厳密に証明する体積である。無限に多くの切片を足しあわせることは積分法の中心的な考えで、ニュートンとライプニッツより十八世紀も前のことだった。 祈祷書 950 年ごろ、コンスタンティノープルの写字生が、アルキメデスのいくつかの著作を羊皮紙に書き写した。1229 年、ある修道士が祈祷書をつくるのに羊皮紙を必要とした。彼は写本をばらし、インクを削りとり、紙葉を半分に切り、向きを変えて、その上に祈りを書いた。このように再利用された写本をパリンプセストという。

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統計学のなかの魔女:コーシー分布

1799 年に亡くなったアニェージは、自分の曲線が幾何学から遠く離れたところで第二の人生を送るとは思いもしなかっただろう。十九世紀、この曲線は確率論のなかに、統計学でもっとも油断のならない例のひとつとして再び現れた。 確率密度 曲線の下の面積で見たように、$y = \frac{1}{1 + x^2}$ の下の面積全体は $\pi$ である。$\pi$ で割ると面積は 1 になり、曲線は確率密度になる。 $$f(x) = \frac{1}{\pi(1 + x^2)}.$$これがコーシー分布である。一回の抽出が $c$ と $d$ のあいだに入る確率は、その区間での曲線の下の面積 $\frac{1}{\pi}(\arctan d - \arctan c)$ に等しい。描いてみると正規曲線によく似ている。ゼロを中心とする左右対称の釣鐘である。違いはすそにある。正規分布は $e^{-x^2/2}$ のように減り、その速さのせいで巨大な値はほとんど出てこない。アニェージの曲線は $\frac{1}{x^2}$ のようにしか減らない。 存在しない平均 この違いが驚くべき結果を生む。分布の平均は $x\,f(x)$ の積分である。コーシー分布では、正の側の積分は $$\int_0^{X} \frac{x}{\pi(1 + x^2)}\,dx = \frac{1}{2\pi}\ln(1 + X^2)$$で、$X$ が大きくなると限りなく大きくなる。負の側も反対向きに同じことになり、計算は「無限大ひく無限大」になる。この分布には平均がないのである。分散もない。 実際には、何回抽出してもその平均が落ち着かないということだ。平均と分散が有限であることを必要とする大数の法則も中心極限定理も、ここではまったく使えない。さらに悪いことに、$n$ 回のコーシー抽出の平均は、一回の抽出とまったく同じ分布をもつことが証明できる。データを集めても何の助けにもならないのである。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。 一方、中央値はとてもよく機能する。面積の半分はゼロの左に、半分は右にあり、多くの抽出の中央値はゼロに近づく。だから統計学者はアニェージの曲線を警告として使う。平均を計算する前に、データのすそが軽いか重いかを知っておくべきだ、というわけである。 ポアソン、コーシー、そして物理学 この問題に最初に気づいたのはシメオン=ドニ・ポアソンで、1824 年にこの分布をラプラスの誤差論への反例として使った。名前は、1853 年にイレネ=ジュール・ビエネメと最小二乗法をめぐって論争したときにこれを論じた、オーギュスタン=ルイ・コーシーに由来する。 物理学では、同じ曲線がヘンドリック・ローレンツにちなんだローレンツ型という別の名前で現れる。原子や分子のスペクトル線の形、共鳴の近くでの振動子の応答、そして素粒子物理学では不安定な粒子を示すピークの形(ブライト=ウィグナーの公式)を表す。何かが振動しながら少しずつエネルギーを失うところでは、アニェージの魔女が顔を出しやすいのである。 浜辺の灯台 コーシー分布がどこから現れうるかを示す古典的な例がある。まっすぐな浜辺から 1 km のところに灯台があり、回転しながら、どの角度も同じ確率で、でたらめな方向に光のパルスを出す。浜辺に届いたパルスの着地点は、ちょうどコーシー分布に従う。角度が 90° に近づくと、パルスは浜辺のはるか遠くに届く。平均が存在しないのは、こうしたまれな遠い点のせいである。 練習:四分位点コーシー分布からの一回の抽出が $-1$ と $1$ のあいだに入る確率はいくらか。 $\frac{1}{\pi}(\arctan 1 - \arctan(-1)) = \frac{1}{\pi}\cdot\frac{\pi}{2} = \frac{1}{2}$。抽出の半分が $-1$ と $1$ のあいだに入る。これが分布の四分位点である。標準正規分布では、半分が $-0.674$ と $0.674$ のあいだに入る。コーシー分布は中央でもいくらか「広がって」おり、すそではずっと広がっている。