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ピエール=シモン・ラプラスの生涯

年表 17493 月 23 日、ノルマンディーのボーモン=アン=オージュに、シードル商の息子として生まれる。 1765カーン大学に入り、神学を学ぶ。 1768ダランベールあての推薦状を携えてパリに出る。 1770パリの陸軍士官学校の数学教授になる。 1773三度目の挑戦で科学アカデミー会員に選ばれる。 1783ラヴォアジエとともに、熱と氷熱量計に関する論文を発表する。 1785士官候補生ナポレオン・ボナパルトを試験する。木星と土星の大不等を説明する。 1788マリー=シャルロット・ド・クルティ・ド・ロマンジュと結婚する。 1793恐怖政治のあいだパリを離れる。 1796『宇宙体系解説』を出版する。 1799『天体力学』の最初の二巻が出る。六週間だけ内務大臣を務める。 1806帝国伯爵になる。 1812『確率の解析的理論』を出版する。 1814『確率の哲学的試論』を出版する。 1817ルイ十八世から侯爵の称号を受ける。 18273 月 5 日、パリで没する。 ◀ 前へ 旅をたどる 次へ ▶ 1749–1765 ボーモン=アン=ノージュ1749 年 3 月 23 日、りんご酒の商人の息子として生まれる。町のベネディクト会の学校で学ぶ。 1765–1768 カーンカーン大学に入り神学を学ぶ。ガドブレとル・カニュという二人の教師が、彼の数学の才能を見いだす。 1769–1793 パリ、陸軍士官学校ダランベール宛ての紹介状を持ってパリに着き、陸軍士官学校の教授の職を得る。1785 年には若いナポレオンの試験をする。 1793–1794 ムラン恐怖政治のあいだ、家族とともにパリを離れ、首都から 50 キロほどの所に避難する。ロベスピエールの失脚後に戻る。 1795–1814 パリ、リュクサンブール宮殿高等師範学校で教え、経度局を率い、六週間だけ内務大臣を務め、その後は元老院議員、そしてリュクサンブールで開かれる元老院の尚書となる。 1806–1827 アルクイユ化学者ベルトレの隣の別荘を買う。若い科学者たちの集まりであるアルクイユ会がそこで開かれる。 1888 サン=ジュリアン=ド=マイヨック1827 年 3 月 5 日にパリで亡くなり、ペール・ラシェーズ墓地に葬られる。1888 年、遺骸はノルマンディーの一族の霊廟に移される。 地図を見るには JavaScript を有効にしてください。各地点は下の一覧にあります。 ノルマンディーからパリへ。恐怖政治のあいだの避難先とアルクイユの別荘を経て、墓のためにノルマンディーへ戻る。 地図:© OpenStreetMap 協力者

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木星、土星、そして太陽系の安定性

ニュートンはただひとつの法則で惑星の軌道を説明したが、その法則がひとつの問題を抱えていることも知っていた。どの惑星も太陽に引かれ、ほかの惑星にも少しずつ引かれる。この小さな引力は時間とともに積み重なる。ニュートンは、長い目で見れば太陽系は乱れてしまい、ときどき神が介入して秩序を戻さなければならないのではないかと疑った。 木星と土星の謎 天文学者には心配する理由があった。古い観測と新しい観測を比べて、エドモンド・ハレーは 1695 年に、木星がますます速く、土星がますます遅く動いているように見えることに気づいていた。これが永続的な傾向なら、木星はいずれ太陽に落ち、土星は宇宙のかなたに消えてしまう。オイラーとラグランジュがこの現象を説明しようとしたが、うまくいかなかった。 1785 年、ラプラスが答えを見つけた。それは傾向ではなく、周期が 900 年近い、ごくゆっくりした振動だった。天文学者たちはその一部分だけを見て、その区間を直線と取り違えていたのである。 五周対二周 鍵は周期にある。木星は約 11.86 年、土星は約 29.46 年で太陽を一周する。つまり一年あたり $$n_J = \frac{360^\circ}{11.86} \approx 30.35^\circ, \qquad n_S = \frac{360^\circ}{29.46} \approx 12.22^\circ$$進む。土星の二周と木星の五周がほぼ同じ長さであることに注意しよう。$2 \times 29.46 = 58.9$ 年、$5 \times 11.86 = 59.3$ 年である。二つの惑星は 5 対 2 の共鳴に近いという。効いてくるのは差 $$2n_J - 5n_S \approx 60.70^\circ - 61.10^\circ = -0.40^\circ \text{(1 年あたり)}$$である。この差は小さく、だからこそ摂動はなかなか解消しない。この角度が一周するには $$\frac{360^\circ}{1 \text{ 年あたり } 0.40^\circ} \approx 880 \text{ 年}$$かかる。 三角形をなす会合 同じことを目で見る方法もある。二つの惑星は $$\frac{1}{\frac{1}{11.86} - \frac{1}{29.46}} \approx 19.86 \text{ 年}$$ごとに太陽と一直線に並ぶ。これを会合という。そして会合のたびに、前回より約 $242.7^\circ$ 先の位置で起こる。三回続けると $3 \times 242.7^\circ = 728.1^\circ$、つまり二周と $8.1^\circ$ 進む。そのため会合はほとんどいつも空の同じ三か所、ほぼ正三角形の頂点で起こり、その三角形がゆっくり回っていく。一方の惑星が他方を引く力が繰り返し加わり、積み重なるのはこの三か所である。

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星雲説

1796 年の『宇宙体系解説』は、数学の素養のない読者のための本だった。ラプラスはそこで、天体力学が明らかにしたことを散文ですべて語った。そして巻末の注で、彼自身が「観測や計算の結果でないものすべてに向けるべき疑いをもって」と断りながら、太陽系の起源についての説明を試みた。 『宇宙体系解説』第二版の扉、1798 年(共和暦七年)。Pierre-Simon Laplace · Wikimedia Commons · パブリックドメイン できすぎた偶然 ラプラスは誰もが知っている事実から出発した。当時知られていた惑星はみな同じ向きに太陽のまわりを回り、その軌道はほぼ同じ平面にあって、ほぼ円である。自転の向きも同じで、惑星のまわりを回る衛星も同じ向きである。惑星、衛星、自転を合わせて、ラプラスは同じ向きの運動を 43 個数えた。 それぞれの運動が偶然に、確率 $\frac{1}{2}$ でどちらかの向きをとるとしたら、すべてがそろう確率はいくらか。最初の運動が向きを決め、残りの 42 個がそれに従わなければならない。 $$\left(\frac{1}{2}\right)^{42} = \frac{1}{4\,398\,046\,511\,104} \approx \frac{1}{4.4 \times 10^{12}}.$$ラプラスは、この配置に共通の原因があることに「四兆対一以上」で賭けられると書いた。空に確率の推論を当てはめる、いかにも彼らしい考え方である。偶然が奇妙だと言うかわりに、彼はそれを測ったのだ。 回る雲 彼が提案した原因はこうである。はじめ太陽は巨大で熱い大気、つまり星雲に包まれていた。星雲はゆっくり回転し、現在の軌道より外まで広がっていた。冷えるにつれて雲は縮み、縮むにつれてますます速く回るようになり、ついに縁で遠心力が重力とつりあうと、物質の環が分かれた。それぞれの環が集まってひとつの惑星となり、もとの雲と同じ向きに回った。衛星も同じように、惑星の大気から生まれたとされる。 なぜ縮む雲は速く回るのか。それは角運動量の保存で、フィギュアスケートの選手が腕を縮めると回転が速くなるのと同じ理屈である。回転軸から距離 $r$ のところを角速度 $\omega$ で回る質量 $m$ の角運動量は $$L = m\,r^2\,\omega$$である。外からトルクがはたらかなければ $L$ は変わらない。雲の半径が半分になると $r^2$ は四分の一になり、それを補うために $\omega$ は四倍になる。 $$m\,r^2\,\omega = m\left(\frac{r}{2}\right)^2\omega' \quad\Rightarrow\quad \omega' = 4\omega.$$ カント、ラプラス、そして角運動量の問題 その四十年前、1755 年に、哲学者イマヌエル・カントが似た考え、すなわち太陽系は塵の雲からできたという説を発表していた。ラプラスはカントの本を知らなかったようだが、十九世紀には二つの提案がまとめてカント=ラプラスの星雲説と呼ばれるようになった。この説は深刻な反論に直面した。太陽は太陽系の質量の 99.8% をもつのに、角運動量は約 1% しかもたない。ただ縮むだけの雲なら、太陽はずっと速く回っているはずだ。答えは二十世紀に出た。磁場と恒星風が若い星にブレーキをかけ、角運動量を外へ運び出すのである。今日の望遠鏡は、おうし座 HL 星のような若い星のまわりに原始惑星系円盤を撮影しており、そこには惑星が生まれつつあるらしい環とすき間が見える。現代の理論はラプラスのものとはずいぶん違うが、中心となる像は生き残った。星と惑星は、回転するガスと塵の円盤から生まれるのである。 練習:縮む星太陽の半径は約 $700\,000$ km で、25 日に一回自転する。質量も角運動量も失わずに、中性子星のように半径 10 km まで縮んだとしたら、新しい自転周期はいくらか。(質量分布の形は変わらず、$L \propto r^2\omega$ とする。) 半径は $\frac{700\,000}{10} = 70\,000$ 分の一になるから、$\omega$ は $70\,000^2 = 4.9 \times 10^9$ 倍になる。周期は同じ割合で短くなる。$25 \text{ 日} = 2\,160\,000$ s だから、$\frac{2\,160\,000}{4.9 \times 10^9} \approx 4.4 \times 10^{-4}$ s。千分の一秒の半分にも満たない。知られているもっとも速いパルサーの桁である。

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暗黒星

地球と同じ密度をもち、直径が太陽の 250 倍ある光る星は、その引力のために、光線のひとつとして私たちのもとに届かせないだろう。それゆえ、宇宙でもっとも大きな光る天体は、まさにそのために見えないということがありうる。 — ピエール=シモン・ラプラス『宇宙体系解説』(1796) この文は『宇宙体系解説』の初版にある。ラプラスがこれを書いたのは、ニュートンと同じく光が粒子でできていると信じられていた時代だった。光が微粒子の群れなら、重力は石を引くのと同じようにそれを引くはずである。とすれば、星が十分に小さく詰まっていれば、放たれた光は上に投げた石のように落ちてくるだろう。 脱出速度 質量 $M$、半径 $R$ の天体の表面から速さ $v$ で上に投げた石が永久に逃げ切るのは、運動のエネルギーが重力のエネルギーに勝つときに限る。 $$\frac{1}{2}mv^2 \ge \frac{GMm}{R} \quad\Longleftrightarrow\quad v \ge v_e = \sqrt{\frac{2GM}{R}}.$$石の質量は消える。脱出速度 $v_e$ は天体だけで決まるのである。地球では約 11.2 km/s、太陽では 618 km/s である。 密度と大きさ 密度 $\rho$ の天体の質量は $M = \frac{4}{3}\pi R^3 \rho$ だから、代入すると $$v_e = \sqrt{\frac{2G}{R}\cdot\frac{4}{3}\pi R^3\rho} = R\,\sqrt{\frac{8\pi G\rho}{3}}$$となる。密度を固定すれば、脱出速度は半径に比例して大きくなる。これがまさにラプラスの推論だった。彼は $v_e = 618$ km/s、平均密度 1.41 g/cm³ の太陽から出発し、太陽の 250 倍の大きさで地球の密度 5.51 g/cm³ をもつ天体を考えた。 $$v_e \approx 618 \times 250 \times \sqrt{\frac{5.51}{1.41}} \approx 618 \times 250 \times 1.98 \approx 305\,000 \text{ km/s}.$$光の速さ $c \approx 300\,000$ km/s を少し超える。このような天体の光は逃げ出せない。

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ラプラス方程式

惑星がある一点をどう引きつけるかを知るには、惑星の各部分の引力をすべて足さなければならない。各部分はそれぞれ違う向きに引くし、力を足すのは手間がかかる。力はベクトルで、それぞれ三つの成分をもつからだ。十八世紀の数学者たちは近道を見つけ、ラプラスはそれを道具に仕立てた。 矢印ではなく数を足す 一点に集中した質量 $M$ について、次の数を考える。 $$V = \frac{M}{r}.$$ここで $r$ は質量までの距離である(定数 $G$ は省く)。のちにポテンシャルと呼ばれるこの数は、力についての情報をすべてもっている。各方向の引力の成分は、その方向への $V$ の微分なのである。そして大きな利点は、質量がいくつあってもポテンシャルは数としてそのまま足せることだ。まず惑星のすべての部分のポテンシャルを足し、それから微分すれば力が得られる。 方程式 ラプラスは、質量の外のどの点でも、ポテンシャルがとても簡単な方程式に従うことに気づいた。 $$\frac{\partial^2 V}{\partial x^2} + \frac{\partial^2 V}{\partial y^2} + \frac{\partial^2 V}{\partial z^2} = 0.$$今日では $\nabla^2 V = 0$ と書き、記号 $\nabla^2$ をラプラシアンと呼ぶ。ラプラスは 1782 年、惑星の形についての論文でこの方程式を球座標で発表し、1787 年には土星の環を研究するなかで上のような直交座標の形で示した。 原点に置いた一つの質量で確かめてみる価値がある。$r = \sqrt{x^2+y^2+z^2}$、$V = \frac{1}{r}$ とすると $$\frac{\partial V}{\partial x} = -\frac{x}{r^3}, \qquad \frac{\partial^2 V}{\partial x^2} = -\frac{1}{r^3} + \frac{3x^2}{r^5}.$$三方向を足すと $$\nabla^2 V = -\frac{3}{r^3} + \frac{3(x^2+y^2+z^2)}{r^5} = -\frac{3}{r^3} + \frac{3}{r^3} = 0.$$方程式は線形だから、解の和もまた解である。どんな質量の集まりのポテンシャルも、その外ではこの方程式を満たす。ラプラス方程式を満たす関数を調和関数という。

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行列式のラプラス展開

行列式は連立一次方程式を解くために生まれた。1750 年、ガブリエル・クラメルは自分の名がついた公式を発表した。各未知数を、係数からつくった二つの式の比として与える公式である。しかし未知数が多いとき、それらの式を整然と計算する方法がまだなかった。1772 年、アレクサンドル=テオフィル・ヴァンデルモンドとラプラスが、ほとんど同時に、これらの式をそれ自体ひとつの対象として研究した。今日の意味での行列式という言葉は 1812 年にコーシーが定め、いま使われている縦線の記号は 1841 年のアーサー・ケイリーにさかのぼる。 六つの項、三つの組 $3 \times 3$ 行列の行列式には六つの項がある。 $$\begin{vmatrix} a_1 & b_1 & c_1 \\ a_2 & b_2 & c_2 \\ a_3 & b_3 & c_3 \end{vmatrix} = a_1b_2c_3 - a_1b_3c_2 - a_2b_1c_3 + a_2b_3c_1 + a_3b_1c_2 - a_3b_2c_1.$$ラプラスの考えは、これらの項をある行(または列)の成分ごとにまとめることだった。第一列の成分 $a_1$、$a_2$、$a_3$ でくくると $$= a_1(b_2c_3 - b_3c_2) - a_2(b_1c_3 - b_3c_1) + a_3(b_1c_2 - b_2c_1).$$それぞれのかっこは $2 \times 2$ の行列式で、その成分の行と列を消したときに残るものである。この小さな行列式をその成分の小行列式という。 $$= a_1\begin{vmatrix} b_2 & c_2 \\ b_3 & c_3 \end{vmatrix} - a_2\begin{vmatrix} b_1 & c_1 \\ b_3 & c_3 \end{vmatrix} + a_3\begin{vmatrix} b_1 & c_1 \\ b_2 & c_2 \end{vmatrix}.$$符号のチェス盤 符号はチェス盤の模様のように交互に変わる。第 $i$ 行第 $j$ 列の成分には符号 $(-1)^{i+j}$ がつく。

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古典的確率とガウス積分

数学的な確率は賭けごとから、1654 年のパスカルとフェルマーの往復書簡から始まり、ヤコブ・ベルヌーイの大数の法則で最初の大定理を得た。ラプラスはそれを完全な理論に仕立てた。このテーマについての彼の最初の論文は 1774 年のものである。1812 年の『確率の解析的理論』は四十年近い研究を集大成し、1814 年の『確率の哲学的試論』はそのすべてを数式なしで一般の人びとに説明した。 『確率の哲学的試論』1840 年版の扉。Pierre-Simon Laplace · Wikimedia Commons · パブリックドメイン 古典的な定義 偶然の理論とは、同じ種類のすべての事象を、同じ程度に可能な、すなわちそれが起こるかどうかについて私たちが同じ程度に決めかねているような、ある数の場合に帰着させ、確率を求めている事象に有利な場合の数を定めることにある。 — ピエール=シモン・ラプラス『確率の哲学的試論』(1814) 学校で習う定義である。 $$P = \frac{\text{有利な場合の数}}{\text{可能な場合の数}}.$$微妙なのは「同じ程度に可能な」という言葉である。サイコロを二つ振ると、目の和は 2 から 12 まで 11 通りあるが、それらは同じ程度に起こりやすいわけではない。同じ程度に可能な場合は、(一つ目、二つ目)の 36 通りの組である。和が 7 になるのはそのうち (1, 6) から (6, 1) までの 6 通りで、確率は $\frac{6}{36} = \frac{1}{6}$ である。和が 2 になるのは (1, 1) だけで、確率は $\frac{1}{36}$ である。 e の −x² 乗の積分 多くの偶然の和を研究するなかで、ラプラスは統計学のいたるところに現れる積分を必要とした。 $$\int_{-\infty}^{\infty} e^{-x^2}\,dx = \sqrt{\pi}.$$アブラーム・ド・モアブルは 1733 年にすでにこの結果を数値の形で使っていたが、証明したのは 1774 年のラプラスである。いちばん美しい証明はひとつの工夫による。積分 $I$ を直接求めるかわりに、平面上の積分になる $I^2$ を求めるのである。

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中心極限定理

サイコロを一つ振ると、どの面も同じ確率で、確率のグラフは平らである。二つ振って足すと、和 7 がいちばん起こりやすく、グラフは三角形になる。十個、三十個、百個と振ると、和のグラフはしだいに釣鐘の形になっていく。サイコロのかわりに硬貨やルーレットや測定誤差を足しても同じことが起こる。この驚くべき事実が中心極限定理である。 ド・モアブルとラプラス 1733 年、アブラーム・ド・モアブルは硬貨についてこの現象を示した。何度も投げたときの表の回数は、曲線 $e^{-x^2}$ に近い分布をもつ。ラプラスは 1810 年の論文で、この結果を任意の偶然の和に広げた。偶然どうしが独立で、どれか一つがほかを圧倒しなければよい。 現代の言葉で言えば次のようになる。$X_1, X_2, \ldots, X_n$ をすべて同じ分布に従う独立な偶然とし、平均を $\mu$、分散を $\sigma^2$ とする。和 $S_n = X_1 + \cdots + X_n$ の平均は $n\mu$、標準偏差は $\sigma\sqrt{n}$ で、 $$\frac{S_n - n\mu}{\sigma\sqrt{n}}$$の分布は、$n$ が大きいとき、密度 $\frac{1}{\sqrt{2\pi}}e^{-x^2/2}$ の標準正規分布にどんどん近づく。 サイコロ サイコロ一つでは $\mu = 3.5$ で、 $$\sigma^2 = \frac{1^2 + 2^2 + \cdots + 6^2}{6} - 3.5^2 = \frac{91}{6} - \frac{49}{4} = \frac{35}{12}.$$$n$ 個のサイコロの和の平均は $3.5\,n$、標準偏差は $\sqrt{\frac{35n}{12}}$ である。図は和の正確な分布と、同じ平均と標準偏差をもつ正規曲線を比べている。つまみを動かすと、ほんの数個のサイコロで二つがほとんど重なることがわかる。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。 サイコロ 100 個では、平均は 350、標準偏差は $\sqrt{\frac{3500}{12}} \approx 17.1$ である。和が 330 から 370 のあいだ、つまり両側にそれぞれ約 1.2 標準偏差の範囲に入る確率はおよそ 76% になる。$6^{100}$ 通りの組み合わせを数える必要はない。

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明日も太陽は昇るか? 継起の規則

古典的な確率は原因から結果へ向かう。硬貨が公正だとわかっているとき、表が出る確率はいくらか。だが問題は逆であることが多い。結果を見て、原因について知りたいのである。ある結果を見たあとで、硬貨について何が言えるか。この原因の確率をはじめて数学的に扱ったのはイギリスの牧師トマス・ベイズで、その論文は彼の死後、1763 年に発表された。ラプラスは 1774 年に、ベイズを知らないまま独立に同じ考えに達した。そしてそれを発展させ、応用したのはラプラスである。 中身のわからない壺 白い玉と黒い玉が、わからない割合 $p$ で入った壺を考える。$p$ については何も知らない。0 から 1 までのどの値も同じくらいありそうに思える。玉を $n$ 個(毎回戻しながら)取り出したところ、すべて白だった。次も白である確率はいくらか。 割合が $p$ なら、白が $n$ 回続く確率は $p^n$ である。見たことをよく説明する $p$ の値ほど重みが大きくなる。各 $p$ に $p^n$ の重みをつけると、次が白である確率は、この重みでとった $p$ の平均になる。 $$P(\text{次も白}) = \frac{\int_0^1 p \cdot p^n\,dp}{\int_0^1 p^n\,dp} = \frac{\frac{1}{n+2}}{\frac{1}{n+1}} = \frac{n+1}{n+2}.$$これがラプラスの継起の規則である。観測がまったくないとき($n = 0$)は $\frac{1}{2}$。白が一つ出たあとは $\frac{2}{3}$、十個出たあとは $\frac{11}{12}$。もっと一般に、$n$ 回のうち $s$ 回白が出たなら、次が白である確率は $\frac{s+1}{n+2}$ である。 図は、白が積み重なるにつれて重みの曲線 $(n+1)p^n$ がどう変わるかを示している。曲線は $p = 1$ の近くに集まっていくが、確実になることはけっしてない。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。 日の出 1814 年の『哲学的試論』で、ラプラスはこの規則を、のちに有名になる例にあてはめた。記録に残る歴史が 5000 年、つまり $1\,826\,213$ 日あり、そのすべての日に太陽が昇ったとする。規則によれば、明日太陽が昇る確率は

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ラプラス変換

対数は掛け算を足し算に変える。二つの数を掛けるには、それぞれの対数を足して元に戻せばよい。ラプラス変換は微分方程式に対して似たことをする。微分を掛け算に置きかえるのである。代数の方程式を解いてから、元に戻す。 起源 ラプラスはこの考えに確率論を通じてたどり着いた。1812 年の『確率の解析的理論』で、彼は母関数を使って計算を整理した。確率の列をそのまま扱うかわりに、それらをすべて収めたひとつの関数を扱ったのである。この考えの連続版が次の積分で、オイラーも以前に使っていたが、ラプラスはこれを系統的に調べた。 $$F(s) = \int_0^{\infty} e^{-st} f(t)\,dt.$$各関数 $f(t)$ は新しい関数 $F(s)$、すなわちそのラプラス変換になる。これを $\mathcal{L}\{f\}$ と書く。 いくつかの例 定数 $f(t) = 1$ では $$\mathcal{L}\{1\} = \int_0^{\infty} e^{-st}\,dt = \left[-\frac{e^{-st}}{s}\right]_0^{\infty} = \frac{1}{s} \quad (s > 0).$$指数関数 $f(t) = e^{at}$ では、指数どうしがまとまる。 $$\mathcal{L}\{e^{at}\} = \int_0^{\infty} e^{-(s-a)t}\,dt = \frac{1}{s-a} \quad (s > a).$$微分が掛け算になる 変換を役に立つものにしている性質は、部分積分から出てくる。 $$\mathcal{L}\{f'\} = \int_0^{\infty} e^{-st} f'(t)\,dt = \Big[e^{-st}f(t)\Big]_0^{\infty} + s\int_0^{\infty} e^{-st} f(t)\,dt = sF(s) - f(0).$$$f$ を微分することは、$F$ に $s$ を掛ける(そして初期値を引く)ことに対応する。微分方程式は代数の方程式になり、初期値ははじめから計算に組みこまれている。 ある回路 電池につないだ抵抗とコンデンサの回路では、コンデンサの電圧 $y(t)$ は、都合のよい単位で $$y' + y = 1, \qquad y(0) = 0$$に従う。両辺を変換すると $sY - 0 + Y = \frac{1}{s}$、すなわち

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音の速さ

音は圧縮の波である。空気が押されて縮み、次の空気を押し、また膨らむ。この波の速さは空気の二つの性質で決まる。どれだけ圧縮されにくいかと、どれだけ重いかである。 ニュートンの式 1687 年の『プリンキピア』で、ニュートンははじめて音の速さを計算した。空気は圧縮されるときボイルの法則に従う、つまり圧力が密度に比例すると仮定して、彼は $$v = \sqrt{\frac{P}{\rho}}$$を得た。海面の高さ、20 °C では、圧力は $P = 101\,325$ Pa、空気の密度は $\rho = 1.204$ kg/m³ である。式からは $$v = \sqrt{\frac{101\,325}{1.204}} \approx 290 \text{ m/s}$$となる。ところが測定ではおよそ 340 m/s、15% ほど大きかった。ニュートンは空気の粒子の大きさや水蒸気といった無理のある仮説でこの差を説明しようとした。それから百年以上、この食い違いは説明されないままだった。 熱くなる空気 誤りを見つけたのはラプラスである。気体は圧縮されると熱くなる。手押しの空気入れで自転車のタイヤに空気を入れたことのある人なら知っているだろう。ボイルの法則が成り立つのは温度が一定のときである。しかし音波の圧縮はとても速いので、熱が逃げる暇がない。圧縮された空気はわずかに熱くなり、そのためニュートンが仮定したより強く押す。今日では、この圧縮は等温ではなく断熱だという。 数学的に言えば、流体中の波の速さは $v = \sqrt{\frac{dP}{d\rho}}$、すなわち密度が上がったとき圧力がどれだけ上がるかで決まる。等温圧縮では $P = k\rho$ で $$\frac{dP}{d\rho} = \frac{P}{\rho}.$$断熱圧縮では $P = k\rho^\gamma$ で、$\gamma$ は気体の定圧比熱と定積比熱の比である。このとき $$\frac{dP}{d\rho} = k\gamma\rho^{\gamma-1} = \gamma\,\frac{P}{\rho}.$$したがって、ラプラスが 1816 年に発表した正しい式は $$v = \sqrt{\frac{\gamma P}{\rho}}$$である。空気では $\gamma \approx 1.40$ だから、補正はニュートンの結果に $\sqrt{1.40} \approx 1.183$ を掛けることになる。 $$v \approx 290 \times 1.183 \approx 343 \text{ m/s}.$$まさに測定値である。ラプラスは議論を逆向きにも使った。$\gamma$ を直接精密に測れるようになる前に、測定された音速から $\gamma$ を見積もったのである。

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ラプラスの悪魔

私たちは宇宙の現在の状態を、それ以前の状態の結果として、またこれから来る状態の原因として考えなければならない。ある瞬間に、自然を動かしているすべての力と、自然を構成するすべての存在のそれぞれの位置を知り、しかもそれらのデータを解析にかけられるほど広大な知性があるとすれば、その知性は宇宙のもっとも大きな物体の運動も、もっとも軽い原子の運動も、同じひとつの式のうちに包みこむだろう。その知性にとって不確かなものは何もなく、未来も過去と同じように、その目の前にあるだろう。 — ピエール=シモン・ラプラス『確率の哲学的試論』(1814) これはラプラスのもっともよく引用される一節である。ニュートン力学を最後まで押し進めた世界観がここに要約されている。運動の法則が正確で、現在が完全に知られているなら、未来は完全に決まっている。これが決定論である。 『確率の哲学的試論』1840 年版で、知性についての一節が載っているページ。Pierre-Simon Laplace · Wikimedia Commons · パブリックドメイン 悪魔ではなかった悪魔 ラプラスは「悪魔」という言葉を一度も使っていない。彼が語ったのは「知性」である。このあだ名はのちに、物理学に出てくるほかの架空の存在になぞらえてつけられた。そしてこの一節の文脈はたいてい忘れられている。これは確率の本の冒頭にあり、ラプラスの議論は見かけとは正反対なのである。 彼は、人間の精神はこの知性のかすかな似姿しか示せないと言う。私たちはすべての力もすべての位置も知らず、その一部しか知らない。だからこそ確率が必要なのだ。ラプラスにとって確率が測るのは世界のなかにある偶然ではなく、私たちの部分的な無知である。投げられた硬貨は力学の法則に従っている。表の確率を $\frac{1}{2}$ と言うのは、投げる力を正確には知らないからである。継起の規則の背後にあるのも同じ見方で、確率とはわずかしか知らない者の信念の度合いなのである。 カオス ラプラスの決定論は、現在をほぼ完全に知れば、未来もほぼ完全に知れると仮定している。1890 年、三体問題を研究していたアンリ・ポアンカレは、いつもそうなるわけではないことに気づいた。ある種の系では、初期条件のごくわずかな違いが止まることなく大きくなっていく。1963 年、気象学者エドワード・ローレンツは天気のシミュレーションのなかでこの現象を再発見した。今日カオス、あるいはバタフライ効果と呼ばれるものである。 簡単な計算でこの効果の強さがわかる。最初の誤差が $10^{-10}$、つまり百億分の一で、それが一ステップごとに倍になるとする。$n$ ステップ後の誤差は $2^n \cdot 10^{-10}$ で、それが系そのものの大きさである 1 の桁に達するのは $$2^n = 10^{10} \quad\Longleftrightarrow\quad n = \frac{10}{\log_{10} 2} \approx 33$$のときである。33 ステップで、小数十けたの精度が役に立たなくなる。しかも小数を一けた増やしても、稼げるのはおよそ 3.3 ステップにすぎない。ラプラスの知性には無限の精度が必要なのである。 二十世紀には量子力学がさらに先へ進んだ。ハイゼンベルクの不確定性原理によれば、粒子の位置と速度は、同時に任意の精度で知ることさえできない。現在が未来を決めるラプラスの世界は、確率が法則そのもののなかにある世界に席をゆずった。 もうひとつの悪魔 物理学でいちばん有名な悪魔はラプラスのものではなく、ジェームズ・クラーク・マクスウェルのものである。1867 年、マクスウェルは手紙のなかで、二つの気体の部屋のあいだの小さな扉を操り、速い分子だけを一方へ、遅い分子だけを他方へ通す小さな存在を想像した。仕事を使わずに一方の部屋を温め、他方を冷やすのだから、熱力学の第二法則に反する。この存在を「悪魔」と呼んだのはウィリアム・トムソンである。それがなぜうまくいかないかの説明は二十世紀になってようやく得られ、情報とエネルギーを結びつけた。分子を選り分けるには、悪魔は測定し記憶しなければならず、その記憶を消すにはエネルギーがかかるのである。 練習:小数十五けたコンピュータはおよそ小数 15 けたで数を記憶する。誤差が一ステップごとに倍になるとき、カオス的なシミュレーションは何ステップですべての精度を失うか。 $2^n \cdot 10^{-15} \approx 1$、すなわち $n = \frac{15}{\log_{10} 2} \approx \frac{15}{0.301} \approx 50$ ステップである。使える最良の算術をもってしても、五十回ほど倍になれば予測は意味を失う。