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木星、土星、そして太陽系の安定性

ニュートンはただひとつの法則で惑星の軌道を説明したが、その法則がひとつの問題を抱えていることも知っていた。どの惑星も太陽に引かれ、ほかの惑星にも少しずつ引かれる。この小さな引力は時間とともに積み重なる。ニュートンは、長い目で見れば太陽系は乱れてしまい、ときどき神が介入して秩序を戻さなければならないのではないかと疑った。 木星と土星の謎 天文学者には心配する理由があった。古い観測と新しい観測を比べて、エドモンド・ハレーは 1695 年に、木星がますます速く、土星がますます遅く動いているように見えることに気づいていた。これが永続的な傾向なら、木星はいずれ太陽に落ち、土星は宇宙のかなたに消えてしまう。オイラーとラグランジュがこの現象を説明しようとしたが、うまくいかなかった。 1785 年、ラプラスが答えを見つけた。それは傾向ではなく、周期が 900 年近い、ごくゆっくりした振動だった。天文学者たちはその一部分だけを見て、その区間を直線と取り違えていたのである。 五周対二周 鍵は周期にある。木星は約 11.86 年、土星は約 29.46 年で太陽を一周する。つまり一年あたり $$n_J = \frac{360^\circ}{11.86} \approx 30.35^\circ, \qquad n_S = \frac{360^\circ}{29.46} \approx 12.22^\circ$$進む。土星の二周と木星の五周がほぼ同じ長さであることに注意しよう。$2 \times 29.46 = 58.9$ 年、$5 \times 11.86 = 59.3$ 年である。二つの惑星は 5 対 2 の共鳴に近いという。効いてくるのは差 $$2n_J - 5n_S \approx 60.70^\circ - 61.10^\circ = -0.40^\circ \text{(1 年あたり)}$$である。この差は小さく、だからこそ摂動はなかなか解消しない。この角度が一周するには $$\frac{360^\circ}{1 \text{ 年あたり } 0.40^\circ} \approx 880 \text{ 年}$$かかる。 三角形をなす会合 同じことを目で見る方法もある。二つの惑星は $$\frac{1}{\frac{1}{11.86} - \frac{1}{29.46}} \approx 19.86 \text{ 年}$$ごとに太陽と一直線に並ぶ。これを会合という。そして会合のたびに、前回より約 $242.7^\circ$ 先の位置で起こる。三回続けると $3 \times 242.7^\circ = 728.1^\circ$、つまり二周と $8.1^\circ$ 進む。そのため会合はほとんどいつも空の同じ三か所、ほぼ正三角形の頂点で起こり、その三角形がゆっくり回っていく。一方の惑星が他方を引く力が繰り返し加わり、積み重なるのはこの三か所である。

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エウレカ:王の冠とアルキメデスの原理

アルキメデスについてのもっとも有名な話は、彼自身のどの本にも出てこない。それを語ったのは二世紀後のローマの建築家ウィトルウィウスで、その論考『建築について』の第 IX 書においてである。 ヒエロンの冠 ヒエロン王は神々にささげる冠を注文し、金細工師に決まった量の金を渡した。冠ができあがると、その重さは渡した金と同じだった。ところが、金細工師が金の一部をくすね、そのかわりに同じ質量の銀を入れたといううわさが広まった。ヒエロンはアルキメデスに、冠を傷つけずに真相を明らかにするよう頼んだ。 ウィトルウィウスによれば、アルキメデスはこの問題を考えながら、水をいっぱいに張った浴槽に入り、体が沈むにつれて水があふれるのを見た。すぐにどうすればよいかを悟った彼は、裸のまま家へ駆けもどりながら、ギリシア語で heúreka, heúreka、「見つけた、見つけた」と叫んだという。 ウィトルウィウスの方法 ウィトルウィウスの話では、考え方は体積をくらべることである。銀は金より密度が小さく、同じ質量の銀はほぼ倍の場所をとる。冠に銀が混ざっていれば、同じ質量の純金の塊より体積が大きくなる。形の不規則なものの体積を測るには、縁まで水を満たした容器に沈め、あふれた水を測ればよい。 アルキメデスは冠と同じ質量の純金の塊、次に銀の塊、最後に冠そのものを沈めたという。冠は純金よりも多くの水をあふれさせた。金細工師はやはりごまかしていたのである。 なぜほとんどうまくいかないのか 1586 年、若きガリレオ・ガリレイは短い文章『小さな天秤』を書いて問題を指摘した。体積の差はごくわずかで、当時の容器であふれた水を十分正確に測るのはほとんど不可能だというのである。下の練習で計算してみよう。ガリレオは、アルキメデスは自分が実際に証明した結果にもとづく、はるかに感度のよい方法を使ったのだろうと考えた。 アルキメデスの原理 『浮体について』でアルキメデスは、液体に沈めた物体は押しのけた液体の重さに等しい力で上に押されることを証明している。液体より密度の大きい物体は沈むが、軽くなったように見える。液体より密度の小さい物体は浮き、押しのけた液体の重さが物体全体の重さに等しくなるだけ沈む。 ガリレオの提案した方法は天秤を使う。一方の皿に冠を、もう一方に同じ質量の純金の塊をつるす。空気中では天秤はつりあっている。次に両方を水に沈める。冠の体積のほうが大きければ、冠は多くの水を押しのけ、大きな浮力を受けて上がる。天秤は純金のほうへ傾くのである。浮力の差は天秤に直接はたらき、ふつうの天秤は水位よりはるかに感度がよい。 現代の言葉でいえば、質量 $m$、体積 $V$ の物体を水(密度 $\rho_a = 1$ g/cm³)に沈めたときの見かけの重さは $$m - \rho_a V$$である。 船のように浮く 『浮体について』は浮力の話にとどまらない。第二巻でアルキメデスは、船体に似た形である回転放物体が、どんな姿勢なら安定して浮き、どんな姿勢なら転覆するかを調べている。船の安定性についての最初の数学的研究であり、造船技術者がこの問題をこれほど深く扱うのは十八世紀になってからである。この論考のギリシア語の写本として知られている唯一のものは、アルキメデスのパリンプセストのなかにある。 練習:冠の体積冠の質量は 1000 g である。金の密度は 19.3 g/cm³、銀は 10.5 g/cm³ とする。純金の冠の体積はいくらか。金 700 g と銀 300 g の冠ではどうか。容器の口が直径 20 cm の円なら、水面はどれだけ余分に上がるか。 純金では $\frac{1000}{19.3} \approx 51.8$ cm³、混ぜものの冠では $\frac{700}{19.3} + \frac{300}{10.5} \approx 36.3 + 28.6 = 64.8$ cm³ で、差はおよそ 13 cm³ である。容器の口の面積は $\pi \cdot 10^2 \approx 314$ cm² だから、水面は $\frac{13}{314} \approx 0.04$ cm、つまり 0.5 mm 足らずしか余分に上がらない。ガリレオがウィトルウィウスの話を疑ったのはこのためである。

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多角数定理

ギリシア人はすでに小石を図形に並べていた。1、3、6、10 個の小石で三角形が、1、4、9、16 個で正方形が、1、5、12、22 個で五角形ができる。これらが多角数である。 公式 $k$ 角数の $n$ 番目は、1 から始まって $k - 2$ ずつ増える等差数列を足し合わせて得られる。 $$P_k(n) = 1 + (k-1) + (2k-3) + \cdots = \frac{n\,\big((k-2)n - (k-4)\big)}{2}.$$$k = 3$ なら三角数 $\frac{n(n+1)}{2}$、つまり 1, 3, 6, 10, 15, … である。$k = 4$ なら平方数 $n^2$。$k = 5$ なら五角数 $\frac{n(3n-1)}{2}$、つまり 1, 5, 12, 22, 35, … である。ゼロも数に入れて、$P_k(0) = 0$ とする。 フェルマーの主張 1638 年、メルセンヌへの手紙のなかで、そしてのちにはディオファントスの本の余白への書きこみで、ピエール・ド・フェルマーは「非常に美しく、まったく一般的な」性質を発見したと主張した。 すべての数は、三角数であるか、二つまたは三つの三角数の和である。平方数であるか、二つ、三つ、または四つの平方数の和である。五角数であるか、二つ、三つ、四つ、または五つの五角数の和である。以下無限につづく。 — ピエール・ド・フェルマー、ディオファントスへの書きこみ(1638 年ごろ) 例によって、フェルマーは証明を残さなかった。平方数の場合はオイラーを四十年間悩ませ、1770 年にラグランジュが解決した。三角数の場合は 1796 年にガウスが証明した。彼は日記に喜びをこめて「ΕΥΡΗΚΑ! num = Δ + Δ + Δ」と書いた。五角数、六角数、そしてそのほかすべては未解決のままだった。

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光線系と円錐屈折

十九世紀のはじめ、光学は個別の事例の寄せ集めだった。平面鏡、曲面鏡、レンズ、プリズム、それぞれに公式がある。まだ学生だったハミルトンは、それらすべての背後にただ一つの考えがあるのではないかと考えた。その結果が『光線系の理論』である。1827 年に王立アイルランド・アカデミーで読まれ、その後の数年で拡張された。 すべての光線を支配する一つの関数 出発点はフェルマーの原理である。光はある点から別の点へ、かかる時間が最小になる道筋、より正確には時間が停留値をとる道筋を通る。ハミルトンはこの時間を端点の関数と考えた。二点 $A$ と $B$ について、$V(A, B)$ を両者のあいだの光の道筋の「光路長」、つまり各媒質を進む距離にその媒質の屈折率を掛けたものとする。彼は $V$ を特性関数と呼んだ。 驚くべきことに、このただ一つの関数がすべてを含んでいる。$V$ を $B$ の座標で微分すると、$B$ に届く光線の方向が得られ、$A$ の座標で微分すると、$A$ を出る光線の方向が得られる。$V$ を知ることは、系全体を知ることなのだ。 たとえば屈折率 $n$ の一様な媒質では、光はまっすぐ進み、 $$V(A, B) = n\,\lvert AB \rvert = n\sqrt{(x_B - x_A)^2 + (y_B - y_A)^2}$$となる。$x_B$ と $y_B$ で微分すると、 $$\frac{\partial V}{\partial x_B} = n\,\frac{x_B - x_A}{\lvert AB \rvert}, \qquad \frac{\partial V}{\partial y_B} = n\,\frac{y_B - y_A}{\lvert AB \rvert}$$であり、これは光線の方向の単位ベクトルに $n$ を掛けたものである。特性関数の勾配は光の方向を指す。 時間からスネルの法則へ 光線が空気中の $A$ を出て、水中の $B$ に届き、距離 $x$ の点で水面を横切るとする。かかる時間は $$V(x) = n_1\sqrt{a^2 + x^2} + n_2\sqrt{b^2 + (d - x)^2}$$に比例する。ここで $a$ と $b$ は $A$ と $B$ の水面からの距離、$d$ は両者の水平距離である。実際の道筋は $V'(x) = 0$ となるものだ。

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順序数:空集合でできた数

20 世紀のはじめ、数学者たちは数学全体をただ一つの概念、集合から組み立てようとしていた。だが、その言葉で言えば、数 $3$ とは何なのか。ゲオルク・カントールは「順序数」、つまり列の中の位置をはかる数について語っていた。一番目、二番目、三番目、そして有限のものすべての後に、最初の無限の順序数 $\omega$ が来る。足りなかったのは、これらの数が集合として何であるかを言うことだった。 1923 年、19 歳のフォン・ノイマンは短い論文『超限数の導入について』を発表した。その答えはあまりに簡潔だったので、標準の定義となった。 各数はそれより前の数の集合である 規則は一つしかない。順序数とは、それより小さい順序数すべての集合である。何もないところから始めると、 $$0 = \varnothing,\qquad 1 = \{0\} = \{\varnothing\},\qquad 2 = \{0, 1\} = \{\varnothing, \{\varnothing\}\},$$$$3 = \{0, 1, 2\} = \{\varnothing, \{\varnothing\}, \{\varnothing, \{\varnothing\}\}\}.$$一般に、ある数の後者は、その数自身に自分自身を付け加えたものである。 $$n + 1 = n \cup \{n\}.$$この定義からは三つのことがただで手に入る。 数 $n$ はちょうど $n$ 個の要素をもつ。$3$ の要素は $0$、$1$、$2$ である。$n$ まで数えるとは、$n$ の要素をたどることだ。 「より小さい」は「属する」になる。$m < n$ は $m \in n$ を意味する。さらに「含まれる」でもある。$2 \subset 3$。 すべては空集合からつくられる。数の存在を仮定する必要はない。数は波括弧から製造されるのだ。 無限の先へ 同じ規則はそのまま続く。すべての自然数の集合 $$\omega = \{0, 1, 2, 3, \ldots\}$$は最初の無限順序数である。これもそれより小さい順序数すべての集合であり、前のものとまったく同じだ。続いて $\omega + 1 = \omega \cup \{\omega\}$、次に $\omega + 2$ と進み、$\omega \cdot 2$、$\omega^2$、$\omega^\omega$ …… へと至る。カントールはこの階段を描いた。フォン・ノイマンは、その一段一段に具体的な構成を与えたのである。

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チューリング機械:鉛筆とテープと規則で計算する

1936 年には計算機というものはなかった。英語の computer は、保険会社や天文台や役所で、鉛筆と紙で計算することを職業とする人を意味していた。チューリングはこの人から出発した。計算するとき、人は本当は何をしているのかを問い、本質的でないものをすべて取り除いていった。 計算する人から残るもの 論文「計算可能数について」のチューリングの推論は、ほとんど単純化の一覧である。 紙は、マス目に区切られたテープに置き換えられる。方眼紙の上の計算は、マスごとに一行に写せるからである。 各マスには、有限の一覧から選んだ一つの記号が入る。数字、文字、空白。 計算する人は一度に少しのマスしか見ない。一マス見れば十分である。いくつかを見るというのは、一つを見て、次に隣を見ることだからである。 計算する人には「足し算をしている」「繰り上げている」といった心の状態がある。そうした状態は有限個しかない。 各ステップは、現在の状態と読んでいる記号だけで決まる。ステップとは、記号を書き、一マス左か右に動き、状態を変えることである。 残るのは一つの機械である。テープ、読み書きするヘッド、そして規則の表。表の各行はこう言う。「この状態でこの記号を読んだら、これを書き、そちらへ動き、この状態に移れ」。 1 を足す機械 二進法で書かれた数に 1 を足す機械をつくってみよう。手で $1011+1$ を計算するときは右から左へ進む。最後の 1 は 0 になって「1 繰り上がる」。その前の 1 も 0 になって繰り上がる。次の 0 は 1 になり、計算は終わる。結果は $1100$、つまり $11+1=12$ である。 機械はまさにそれを行う。必要な状態は「足す」一つと、終わりの状態「停止」だけである。ヘッドは最後の桁から始める。 状態 読む 書く 動く 次の状態 足す 1 0 左へ 足す 足す 0 1 動かない 停止 足す 空白 1 動かない 停止 一行めは繰り上がりである。1 を 0 に替えて左へ進む。二行めは 0 を見つけたら計算を終える。三行めは、$111+1=1000$ のように桁がすべて 1 だった場合を扱う。ヘッドは数の左の空白に着き、そこに新しい 1 を書く。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。

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根を入れ替える:方程式の群

両足をそろえて計算を飛び越えること。演算をまとめ、その形ではなく難しさによって分類すること。それが、私の考えでは、未来の幾何学者の使命である。 — エヴァリスト・ガロア、ある原稿の序文(1831) ガロアの六十年前、ラグランジュは方程式の根でできた式を調べ、根の場所を入れ替えたときにそれらがいくつの値をとるかを数えました。ガロアはさらに一歩進みました。式を見る代わりに、入れ替えそのものを見たのです。それもすべての入れ替えではなく、方程式が許すものだけを。 許される入れ替え 有理数を係数とする方程式をとり、その根を $a, b, c,\dots$ とします。根の間には、ある関係が成り立っています。$a+b=0$ や $a^2=2$ のような、有理数を係数とする正しい等式です。ガロアは方程式の群を、成り立つすべての関係を別の成り立つ関係に移すような、根の置換の集まりとして定義しました。 最も簡単な例は $x^2-2=0$ で、根は $a=\sqrt2$ と $b=-\sqrt2$ です。たとえば次の関係が成り立ちます。 $$a+b=0,\qquad ab=-2,\qquad a^2=2,\qquad b^2=2.$$$a$ と $b$ を入れ替えても、四つとも成り立ったままです。群の元は二つです。何も入れ替えないことと、二つの根を入れ替えることです。 $x^2-3x+2=0$ と比べてみましょう。根は $a=1$ と $b=2$ です。ここでは関係 $a=1$ が成り立ちます。根を入れ替えると $b=1$ となり、これは誤りです。だからこの入れ替えは許されず、群には恒等置換しかありません。これは偶然ではありません。 根の有理式が有理数であるのは、群のどの置換によっても変わらないとき、そしてそのときに限る。 これが理論の中心となる原理です。とくに、根がすべて有理数であるのは、群が恒等置換だけのとき、そしてそのときに限ります。群が大きいほど、根は深く「隠れて」いるのです。 四つの根、四つの入れ替え 方程式 $x^4-5x^2+6=0$ は $(x^2-2)(x^2-3)=0$ と因数分解できます。根は $$a=\sqrt2,\qquad b=-\sqrt2,\qquad c=\sqrt3,\qquad d=-\sqrt3.$$四つの根の並べ方は $4!=24$ 通りありますが、その大部分は何らかの関係をこわしてしまいます。たとえば $a$ と $c$ を入れ替えると、成り立つ関係 $a^2=2$ が $c^2=2$ になり、誤りになります。残るのは、$\sqrt2$ を $\pm\sqrt2$ に、$\sqrt3$ を $\pm\sqrt3$ に移す入れ替えだけです。 置換 $a$ の行き先 $c$ の行き先 恒等置換 $a$ $c$ $a\leftrightarrow b$ を入れ替え $b$ $c$ $c\leftrightarrow d$ を入れ替え $a$ $d$ 両方を入れ替え $b$ $d$ 群の元は、ありうる 24 個のうち四つです。4 次に見えたこの方程式は、実は独立な二つの平方根で解けるのであり、群がそれを示しています。

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5 次方程式:存在しない公式

幾何学者たちは代数方程式の一般的な解法に大いに取り組み、その何人かはその不可能性を証明しようとした。しかし、私の思いちがいでなければ、これまでだれも成功していない。 — ニールス・ヘンリック・アーベル『代数方程式についての論文』(1824) 学校に通った人ならだれでも、方程式を解く公式を一つ知っています。2 次方程式の解の公式です。方程式 $ax^2+bx+c=0$ の解は $$x=\frac{-b\pm\sqrt{b^2-4ac}}{2a}.$$このやり方は四則演算と平方根一つしか使いません。バビロニア人はほぼ四千年前にこの種の問題を解いていましたし、ユークリッドは正方形と長方形で解きました。自然に浮かぶ問いは、もっと次数の高い方程式にも、このようなやり方があるのか、ということです。 3 次と 4 次 3 次の答えはルネサンスのイタリアから来ました。シピオーネ・デル・フェッロ、ニコロ・タルターリア、ジェロラモ・カルダノが公式を見つけ、カルダノが 1545 年に『アルス・マグナ』で発表しました。方程式 $x^3+px+q=0$ の解の一つは $$x=\sqrt[3]{-\frac q2+\sqrt{\frac{q^2}4+\frac{p^3}{27}}}+\sqrt[3]{-\frac q2-\sqrt{\frac{q^2}4+\frac{p^3}{27}}}.$$$x^3+6x-20=0$、つまり $p=6$、$q=-20$ で確かめてみましょう。まず平方根です。 $$\frac{q^2}4+\frac{p^3}{27}=100+8=108,\qquad\sqrt{108}=6\sqrt3.$$公式は $$x=\sqrt[3]{10+6\sqrt3}+\sqrt[3]{10-6\sqrt3}$$を与えます。ひどく見えますが、$(1+\sqrt3)^3=1+3\sqrt3+9+3\sqrt3=10+6\sqrt3$ で、同じように $(1-\sqrt3)^3=10-6\sqrt3$ です。したがって $$x=(1+\sqrt3)+(1-\sqrt3)=2.$$たしかに $2^3+6\cdot2-20=0$ です。まもなく、カルダノの弟子ロドヴィコ・フェラーリが 4 次の公式を見つけ、同じ本に載りました。どちらも四則演算と累乗根しか使いません。このような方程式は累乗根で解けるといいます。 二百五十年の試み 残ったのは 5 次でした。二世紀以上にわたって最も偉大な数学者たちが挑み、4 次までうまくいったどの技法も 5 次で行き詰まりました。1771 年、ラグランジュは、技法がなぜうまくいくのかを説明しました。根を入れ替えたとき、根でできたある式がどう変わるかにかかっていたのです。5 次では、その勘定が合いませんでした。1799 年、イタリアのパオロ・ルフィニが公式は存在しないという証明を発表しましたが、すきがあり、ほとんどだれも受け入れませんでした。 アーベルの定理 1824 年、アーベルは完全な証明を与えました。 $$\boxed{n\geq5\text{ 次の一般の方程式には、四則演算と累乗根による公式は存在しない。}}$$今日この結果はアーベル=ルフィニの定理と呼ばれます。証明の考え方は、そのような公式があると仮定して、それがどう組み立てられなければならないかを見ることです。公式は層をなして作られ、各層は前の層でできた式の累乗根をとります。アーベルは、こうした途中の根のそれぞれが、方程式の五つの根の式でなければならないことを示しました。ここでラグランジュとルフィニの議論が登場します。五つの根の入れ替え方は $5!=120$ 通りあり、公式に必要な式は、五文字のどんな式にもできない変わり方をしなければならないのです。仮定は矛盾に至ります。 定理が何を言っているかを正確に理解しておくことが大切です。定理は、どの 5 次方程式も解けない、とは言っていません。方程式 $x^5-32=0$ には $x=\sqrt[5]{32}=2$ という解があります。存在しないのは、係数からすべての 5 次方程式を解ける一般の公式です。そして、たとえば $$x^5-x-1=0$$のような個別の方程式もあります。その実数解 $x\approx1.1673$ は存在し、何桁でも計算できますが、どうやっても累乗根では書けません。どの方程式が解けて、どれが解けないのか。その問いには数年後にガロアが答えました。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。 ガウスが開かなかった小冊子 1824 年の小冊子『代数方程式について、5 次の一般方程式を解くことの不可能性を証明する論文』は、アーベル自身のお金でクリスチャニアの印刷所で刷られました。費用を抑えるため、彼は証明を 6 ページに収まるまで削り、多くのステップが説明なしで残りました。アーベルは何人かの数学者に送り、その中にはガウスもいました。言い伝えでは、ガウスの一部は彼の死後、ページが切られないままの状態で見つかったといいます。1826 年、アーベルは『クレレ誌』の第 1 巻に、詳しくわかりやすい版を発表しました。

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ヘックス:なぜ先手が勝つのか

1948 年、プリンストンの数学棟の談話室では、教授や学生が午後にチェスや囲碁を打っていました。そこでジョン・ナッシュは新しいゲームを披露しました。盤はひし形で、ハチの巣のような六角形のマスで覆われています。赤と青の二人が交互に、一つずつ、空いたマスに石を置きます。石は二度と動きません。赤は上の辺と下の辺を赤い石の列でつなぎたい。青は左右の辺を青い石の列でつなぎたいのです。 仲間はこのゲームを「ナッシュ」と呼びました。彼は、デンマークのピート・ハインが 1942 年に Polygon という名前でこれを考案していたことを知りませんでした。1952 年、パーカー・ブラザーズ社が、今も残る名前で発売しました。ヘックス(Hex)です。 7×7 のヘックスの盤。赤の勝ち:黄色で強調した赤いマスの列が、上と下の辺をつないでいる。Euler’s Eyes 作図 引き分けは決してない 最初の驚くべき性質:ヘックスでは、埋まった盤には必ず勝者がいます。だれも列を作らずにすべてのマスを埋めることはできません。 直観はこうです。赤が上から下へ渡るのを止めるには、青は盤を端から端まで横切る「壁」が必要です。そして、一方の辺から他方の辺まで続く青いマスの壁は、まさに勝ちになる青い列です。赤が勝っていないなら、それは青にふさがれたからであり、ふさぐことは勝つことなのです。 これはマスが六角形であることによります。チェス盤のような正方形の盤では、二つのマスが角だけで接することがあり、色の違う二本の道が斜めに交差して、どちらも完成しないことがあります。六角形では各頂点で三つのマスが出会うので、そのような交差は起こりません。1979 年、数学者デイヴィッド・ゲールは、ヘックスに引き分けがないことがブラウワーの不動点定理と同値であることを示しました。ナッシュがゲームの均衡に使うのと同じ種類の結果です。 戦略の盗用 二つ目の性質はさらに奇妙です。ナッシュは、先手には必勝戦略があること、つまり完璧に打てば必ず勝てることを証明しました。しかし証明は、その戦略が何であるかを教えてくれません。戦略盗用と呼ばれるこの論法は、次のとおりです。 ゲームは有限で、引き分けがない。したがって二人のうちどちらかが必勝戦略をもつ。どの局面で何を打つかを決め、どんな守りに対しても勝ちを保証する規則である。 背理法のために、必勝戦略をもつのが後手だと仮定する。 すると先手はそれを「盗む」ことができる。最初に好きな手を打ち、あとは余分な石を無視して自分が後手であるかのようにふるまい、後手の必勝戦略に従う。 もし戦略が、余分な石のあるマスに打てと言ったら、どこか別のマスに打てばよい。その新しい石が余分な石になる。 ヘックスでは、盤上に石が一つ多くても不利になることはない。だから盗んだ戦略に従う先手は勝つ。 しかしこれは、後手が必勝戦略をもつという仮定に矛盾する。よって必勝戦略をもつのは先手である。 $$\boxed{\text{ヘックスでは、先手はいつでも勝てる。}}$$これは存在証明です。戦略が存在することは保証しますが、それを示しはしません。9×9 までの盤については、コンピューターが具体的な必勝戦略を見つけています。標準の 11×11 の盤については、だれも知りません。 パイ・ルール 先手が有利なので、ヘックスの大会ではパイ・ルールを使います。二人の子どもがパイを公平に分ける方法、一人が切り、もう一人が選ぶ、にならったものです。ヘックスでは、先手が最初の一手を打ち、後手はその手を色を入れ替えて引き取るか、そのままにするかを決めます。そこで先手は、よすぎず悪すぎない手を打つことになります。 練習問題:1×1 と 2×2 のヘックスの盤で、先手はどう勝つか。1×1 の盤では、ただ一つのマスが四つの辺すべてに接しているので、先手は最初の一手で勝ちます。2×2 の盤では、赤が先手なら、勝ちの一手はひし形の二つの鈍角の隅のマスのどちらかです。そのマスはもう一方の列の二つのマスの両方に接しており、青はそのうち一つしかふさげません。次の手で赤は列を完成させます。 練習問題:戦略盗用論法は三目並べで使えるか。チェスではどうか。三目並べでも石が一つ多くて不利になることはなく、論法は後手が必勝戦略をもてないことを示します。しかし三目並べは引き分けがありえて、実際、完璧に打てば引き分けになります。論法が保証するのは先手が負けないことだけです。チェスでは論法は最初から成り立ちません。駒が一つ多いことが不利になりうるからです。動かなければならないこと自体が不利になる、いわゆるツークツワンクです。 出典: David Gale、“The game of Hex and the Brouwer fixed-point theorem”、The American Mathematical Monthly 86(1979)· Martin Gardner、“The game of Hex”、Hexaflexagons and Other Mathematical Diversions(Chicago、1988)所収 · Sylvia Nasar、A Beautiful Mind(Simon & Schuster、1998)、第 11 章。

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色:こまとタータンのリボン

したがって、色の科学は本質的に心の科学とみなされなければならない。 — ジェームズ・クラーク・マクスウェル「色の実験」(1855) ニュートン以来、白い光が虹のすべての色の混ざったものであることは知られていました。けれども私たちが 見る 色は別のものです。それは目と脳によって決まります。イギリスの医師トマス・ヤングは 1802 年に、目には 三種類 の感覚器しかなく、私たちが感じる色はすべてその三つの反応の組みあわせだと唱えました。証拠のない大胆な仮説でした。24 歳のマクスウェルは、それを数学に変えたのです。 色のこま マクスウェルは、色紙の円盤をたがいに差しこんだこまを使いました。赤をいくら、緑をいくら、青をいくら、というように、それぞれの色の見える割合を調節できるのです。こまが速く回ると、目は扇形を区別できず、ひとつの色、つまり混ぜた色を見ます。中央では、別の色の小さな円盤もいっしょに回っていました。 割合を調節しながら、マクスウェルは外側の輪と内側の円盤が 同じに 見える組みあわせを探しました。たとえば、ある割合の赤、緑、青は、白と黒を混ぜたのと同じ灰色になります。扇形の角度を記録して、彼は代数の方程式のような 色の方程式 を得ました。 $$0.37\,\text{赤}+0.27\,\text{緑}+0.36\,\text{青}=0.28\,\text{白}+0.72\,\text{黒}.$$この例の数は説明のためのものですが、形はマクスウェルの表のとおりです。大きな発見は、こうした方程式が代数の方程式と同じようにふるまうことでした。足したり、数をかけたり、組みあわせたりでき、その予測は目に見えるものと一致したのです。 色はベクトルである つまり、色のついた光は 三つの数、足しあわせるとその光をまねられる三つの原色の光の量で表せる、ということです。 $$\mathbf C=(R,G,B).$$二つの光を重ねることは、ベクトルを成分ごとに足すことです。赤と緑なら、 $$(1,0,0)+(0,1,0)=(1,1,0)$$で、混ぜたもののなかに黄色の光はないのに、目には 黄色 に見えます。赤と緑と青、$(1,1,1)$ は白になります。明るさを二倍にするのは、ベクトルに 2 をかけることです。マクスウェルはこうした色を、頂点に三つの原色を置いた三角形に描きました。三角形の各点はひとつの混色で、虹の純粋な色はそのまわりの曲線上に並びます。これが、今日ディスプレイやカメラの調整に使われる色度図の先祖です。 その背景には、網膜にある三種類の錐体がそれぞれ広い範囲の波長に反応することがあります。スペクトル $I(\lambda)$ の光に対する錐体 $i$ の反応は $$C_i=\int I(\lambda)\,s_i(\lambda)\,d\lambda$$で、$s_i(\lambda)$ はその錐体の感度です。無数の振動数を含むどんな光も、脳に届くときには三つの数にまとめられてしまいます。まったくちがうスペクトルをもつ二つの光が、同じ三つの数を与えて まったく同じ に見えることがあります。こうした光を メタメリズム(条件等色)の関係にあるといいます。三種類の画素しかない画面がほとんどすべての色を表示できるのは、そのおかげです。 最初のカラー写真。1861 年 5 月 17 日にマクスウェルが見せたタータンのリボン。赤、緑、青のフィルターを通して撮った三枚の白黒写真を投影して重ねたもの。ジェームズ・クラーク・マクスウェル、トマス・サットン、1861 · Wikimedia Commons · パブリックドメイン 最初のカラー写真 三つの数で足りるなら、三枚の写真でも足りるはずです。1861 年 5 月 17 日、ロンドンの王立研究所での講演で、マクスウェルはこの考えを示しました。写真家トマス・サットンが、スコットランドの格子柄の布、タータンのリボンを、赤、緑、青のフィルターを一枚ずつ通して三回撮影していました。三枚の白黒の乾板が、それぞれ対応するフィルターをつけた三台の幻灯機で幕に映され、重ねられました。聴衆は色のついたリボンを見たのです。 これが歴史上最初のカラー写真で、その原理は、赤、緑、青のフィルターをつけたセンサーをもつ今日のデジタルカメラと同じです。 フィルムに見えなかった赤 百年後の 1961 年、コダックの科学者たちがこの実験をくり返そうとして、なぞにぶつかりました。1861 年の写真乾板は 赤い光に感じなかった のです。それなのに、なぜマクスウェルの写真に赤が出たのでしょう。答えはこうです。リボンの赤い布は紫外線も反射しており、赤いフィルターがそれを通し、乾板がそれを記録したのです。運よく、紫外線が赤の役を演じてくれたわけです。