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てこの法則

てこはアルキメデスよりずっと前から、石を持ち上げたり、井戸から水をくんだり、品物を量ったりするのに使われていた。アルキメデスが新しくしたのは、てこを定理にしたことである。『平面の釣り合いについて』で、彼は「等しい重さのものは等しい距離でつりあう」といった少数の簡単な公理から出発し、エウクレイデスの『原論』のやり方で一般的な法則を導いている。 法則 量は、通約可能であれ通約不可能であれ、その重さに反比例する距離においてつりあう。 — アルキメデス『平面の釣り合いについて』第 I 巻、命題 6 と 7 重さ $P_1$ が支点から距離 $d_1$ に、重さ $P_2$ が反対側の距離 $d_2$ にあるとき、てこがつりあうのは $$\frac{P_1}{P_2} = \frac{d_2}{d_1} \quad\Longleftrightarrow\quad P_1\,d_1 = P_2\,d_2$$のときである。支点から遠い小さなおもりが、支点に近い大きなおもりとつりあう。今日モーメント、あるいはトルクと呼ぶ積 $P \cdot d$ が、両側で等しくなければならないのである。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。 証明の考え方 いちばん簡単な場合が議論の精神を示している。左側の支点から距離 1 のところに重さ 2 単位のおもりが、右側の距離 2 のところに重さ 1 単位のおもりがあるとする。重さ 2 のおもりを、ちょうど支点の上に一つ、左側の距離 2 のところに一つという、二つの単位のおもりに置きかえる。二つの重心は距離 1 のままだから、公理のひとつによって、つりあいは変わらない。ところが今度は、$-2$、$0$、$+2$ の位置に等しいおもりが三つ並んでいる。支点について対称な並びだから、明らかにつりあう。アルキメデスはこの推論を、おもりを等しい単位に分けることで通約可能な任意の重さに広げ、さらに背理法で通約不可能な重さにまで広げた。 重心 同じ論考は、平面図形の重心、つまり図形を針の先にのせたときにつりあう点の求め方も教えている。たとえばアルキメデスは、三角形の重心が中線の交点で、各頂点から三分の二のところにあることを示した。図形全体を、その重さが一点に集まっているかのように扱うというこの考えが、彼が最大の公式を発見した方法の鍵になる。 てこで地球を動かすアルキメデス。ロンドンの『メカニクス・マガジン』1824 年の版画。Mechanics Magazine · Wikimedia Commons · パブリックドメイン 立つ場所を与えよ 「私に立つ場所を与えよ、そうすれば地球を動かしてみせよう」という言葉を書きとめたのは、アルキメデスから五百年以上のちの四世紀、アレクサンドリアのパップスで、シラクサの方言であるドーリス方言の形で伝えている。プルタルコスは実際的な話を伝えている。アルキメデスは滑車とてこの力をヒエロンに示すため、荷を満載した船をひとりで海に浮かべたというのである。この言葉はわざと誇張されている。次の練習がその理由を示す。

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『解析教程』

十八世紀の半ば、微積分を学ぼうとする人はひとつの問題にぶつかった。ニュートンとライプニッツの発明はまだ七十年しかたっておらず、その成果は学術誌の論文や手紙、ラテン語やフランス語や英語で書かれた本のなかに、ばらばらの記法で散らばっていた。唯一有名な教科書、ロピタル侯爵の 1696 年の『無限小解析』は、微分法しか扱っていなかった。学生を代数から微分方程式まで一歩ずつ導いてくれる本はなかったのである。 アニェージの『解析教程』こそが、その本だった。 二巻四部 全体はおよそ千ページあり、四つの部に分かれている。 有限量の解析(第 I 巻、1748 年):代数、方程式の解法、解析幾何、円錐曲線とそのほかの曲線、そして「方程式の作図」、すなわち図形を使って方程式を解く方法。ヴェルシエラが登場するのはここである。 微分法(第 II 巻、1749 年):導関数、接線、極大、極小、変曲点。 積分法:積分、面積、体積、曲線の長さ、級数。曲線の下の面積を参照。 接線の逆方法:今日微分方程式と呼ばれるもの。 アニェージは自分の発見を発表しようとしたのではない。この本の価値は構成にある。どの主題も、それが依存する事柄のあとに置かれ、どの方法にも解いてみせた例がたくさんついている。そして微積分はすべて、$dx$ と $\int$ を使うライプニッツの記法で書かれている。のちにもっとも実用的だとわかる記法である。 マリア・ガエターナ・アニェージ。マリア・ロンギの素描にもとづくエルネスタ・レニャーニ・ビージのビュラン版画、1812 年。Ernesta Legnani Bisi、Maria Longhi による · Wikimedia Commons · パブリックドメイン 定規とコンパスで方程式を解く 本のなかでもっとも古い部分は、いまでは消えてしまった当時の習慣を伝えている。方程式を計算で解くだけでなく、数学者たちは解を作図すること、つまり線分として描くことを好んだのである。 いちばん簡単な例は方程式 $x^2 = ab$ で、$a$ と $b$ は与えられた線分である。$a$ と $b$ を一直線上につなげて置き、全体の線分 $a + b$ を直径とする半円を描く。$a$ と $b$ の境目の点から半円まで垂線を立てる。この垂線の長さ $h$ が方程式の解で、$h^2 = ab$ となる。 なぜだろうか。直径の両端と半円上の点がつくる三角形は直角三角形である(半円に内接しているから)。そして直角三角形の高さは斜辺を二つに分け、その二つの長さの積は高さの二乗に等しい。アニェージはもっとずっと複雑な場合、たとえば二つの円錐曲線の交わりで作図する三次や四次の方程式も扱っている。 異例の反響 1749 年、パリ科学アカデミーの委員会がこの本を審査し、この主題についてこれまでに書かれたなかでもっとも完全で、もっともよく構成された論考だと判断した。第二巻は 1775 年にシャルル・ボシュの補足つきでフランス語に訳された。ケンブリッジの教授ジョン・コルソンによる英訳は 1801 年に出た。 なぜイタリア語なのか 当時、本格的な数学の本はラテン語かフランス語で書かれていた。アニェージがイタリア語で書いたのは、題名のとおり、この本が ad uso della gioventù italiana、イタリアの若者が使うためのものだったからである。彼女自身は子どものころからラテン語を自在に使えた。この選択によって、本はイタリア語の科学用語の歴史に残る里程標となったが、翻訳が出るまで、イタリアの外への広がりは限られた。

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行列式と置換

1812 年 11 月 30 日、シェルブールから来た若い技師が、フランス学士院で長い題の論文を読みあげた。変数をたがいに入れかえたとき、大きさが等しく符号が反対の二つの値しかとりえない関数について。この題の背後にあったのは、行列式の最初の一般理論だった。 符号を変える関数 三つの変数 $a_1, a_2, a_3$ と、差の積 $$\Delta = (a_2 - a_1)(a_3 - a_1)(a_3 - a_2)$$を考える。$a_1$ と $a_2$ を入れかえると、各因子はそのままか符号を変えるかで、全体として $\Delta$ は $-\Delta$ になる。どの二つの変数を入れかえても同じである。変数の置換は入れかえの列なので、$\Delta$ に $+1$ か $-1$ を掛ける。置換は偶か奇かのどちらかである。 コーシーはこの観察を使って、ライプニッツ、クラメール、ヴァンデルモンド、ラプラスが連立一次方程式を解くときに見つけていた式を整理した。彼は $n^2$ 個の係数を、二つの添字 $a_{i,j}$ をもつ正方形の表に並べ、各行と各列から一つずつ要素をとった積すべてに、対応する置換の符号をつけて足したものとして行列式を定義した。 $$\det\begin{pmatrix} a_{1,1} & a_{1,2} \\ a_{2,1} & a_{2,2}\end{pmatrix} = a_{1,1}a_{2,2} - a_{1,2}a_{2,1}.$$「行列式(déterminant)」という言葉はガウスに由来する。ガウスは二次形式についてこの言葉を使っていた。今日の意味に定着させたのはコーシーである。 積 論文の主要な結果は積の定理である。$C$ が $A$ と $B$ を行と列で掛けて得られる表なら、 $$\det C = \det A \cdot \det B.$$ジャック・ビネも同じ年に同じ定理を発表しており、長方形の表に対する一般形は、今日コーシー=ビネの公式とよばれる。数で確かめよう。 $$A = \begin{pmatrix} 2 & 1 \\ 1 & 3 \end{pmatrix}, \quad B = \begin{pmatrix} 1 & 4 \\ 2 & 1 \end{pmatrix}$$とすると、$\det A = 6 - 1 = 5$、$\det B = 1 - 8 = -7$ である。積は

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数の対としての複素数

十九世紀のはじめには、複素数はカルダーノやボンベリ以来三百年使われており、オイラーはそれを使って驚くべき成果をあげていた。ヴェッセル、アルガン、ガウスはそれを平面上の点として描いていた。それでも落ち着かなさは残っていた。いったい $\sqrt{-1}$ とは何なのか。二乗すると負になる数は、数学の対象というより、役に立つ作り話に見えた。 ハミルトンは何も描かずにこの問題を解決した。1833 年と 1835 年に王立アイルランド・アカデミーに提出し、1837 年に発表した論文『共役関数、すなわち代数的対の理論』で、彼は複素数とは実数の順序対そのものであり、それ以上のものではないと提案した。 ゲームの規則 対 $(a, b)$ と $(c, d)$ について、ハミルトンは次のように定義した。 $$(a, b) + (c, d) = (a + c,\; b + d), \qquad (a, b)\cdot(c, d) = (ac - bd,\; ad + bc).$$$(a, 0)$ のかたちの対は実数とまったく同じようにふるまう。$(a, 0) + (c, 0) = (a + c, 0)$、$(a, 0)\cdot(c, 0) = (ac, 0)$ である。だから $(a, 0)$ を単に $a$ と書いてよい。そして対 $(0, 1)$ は特別な性質をもつ。 $$(0, 1)\cdot(0, 1) = (0 \cdot 0 - 1 \cdot 1,\; 0 \cdot 1 + 1 \cdot 0) = (-1, 0) = -1.$$$(0, 1)$ を $i$ と呼べば、対 $(a, b)$ は $a + bi$ であり、$i^2 = -1$ となる。「マイナス一の平方根」は謎ではなくなった。それは、はっきり定められた掛け算の規則に従う実数の対である。複素数について行うことはすべて、実数の算術で確かめることができる。

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ミニマックス定理:読まれずに手を打つには

奇数偶数ゲームには良い手がない。いつも指を一本出していれば、相手はそれを覚えて毎回勝つようになる。唯一の防御は予測されないこと、つまりランダムに、半分は一本、半分は二本出すことだ。そうすれば相手が何をしようと、勝負の半分は勝てる。 1928 年、フォン・ノイマンは『室内ゲームの理論について』という論文で、この考えがすべての二人ゼロ和ゲーム、つまり一方が得た分だけもう一方が失うゲームに当てはまることを示した。そして、それがつねに一つの確定した数、ゲームの値に行き着くことも示した。 小さなゲーム 行プレイヤーは A か B を、列プレイヤーは C か D を、同時に選ぶ。表は、行が受け取る(列が支払う)額を示す。 C D A $3$ $-1$ B $-2$ $1$ 明らかな選択はない。行がいつも A を出せば、列は D で応じ、行は $1$ を失う。行がいつも B を出せば、列は C で応じ、行は $2$ を失う。そこで行がランダムに選ぶとしよう。確率 $p$ で A を、確率 $1 - p$ で B を出す。行の期待利得は $$\text{C に対して:} 3p - 2(1-p) = 5p - 2, \qquad \text{D に対して:} -p + (1-p) = 1 - 2p.$$列は、行の取り分が小さくなるほうの応じ方を選ぶ。だから行は二つの値の小さいほうしか当てにできず、この最小値ができるだけ大きくなるように $p$ を選びたい。それは二本の直線が交わるところで起こる。 $$5p - 2 = 1 - 2p \;\Longrightarrow\; p = \frac{3}{7}, \qquad \text{保証される利得} = 5 \cdot \frac{3}{7} - 2 = \frac{1}{7}.$$ この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。

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停止問題:どの機械にも答えられない問い

1928 年、ドイツのダフィット・ヒルベルトは、Entscheidungsproblem、すなわち「決定問題」と呼ぶ課題を出した。論理の言葉で書かれたどんな数学の命題についても、それが真か偽かを有限の時間で答える機械的な手続きを見つけよ、というものである。もしそれがあれば、数学は組み立てラインになる。問いを書き込み、ハンドルを回せばよい。 ヒルベルトは答えは「ある」だと信じていた。八年後、チューリングとアメリカのアロンゾ・チャーチが、それぞれ別の道筋で、答えは「ない」ことを示した。 もっと簡単な問い チューリングはヒルベルトの問いに正面から挑んだのではなかった。まず、どの機械にも答えられない、もっとささやかな問いを見つけた。今日ではこう語られる。 プログラムと入力が与えられたとき、そのプログラムはいつか停止するか、それとも永遠に動きつづけるか。 すぐにわかる場合もある。数に 1 を足すプログラムはすぐ止まる。出口のないまま $1,2,3,\ldots$ と数えるプログラムはけっして止まらない。しかし、ごく短いのに誰も答えを知らないプログラムもある。たとえば次のプログラムは、2 より大きいどの偶数も二つの素数の和である、という有名なゴールドバッハ予想を調べる。 $n=4$ から始める。 $n$ が二つの素数の和でなければ、停止する。 そうでなければ、$n$ に 2 を足して 2 に戻る。 このプログラムが停止するのは、予想が誤りであるとき、かつそのときに限る。それが止まるかどうかを知ることは、1742 年から未解決の問題を解くことである。プログラムが止まるかどうかを判定する一般的な方法があれば、この問題も、ほかの多くの問題も一挙に片づく。 証明 背理法で、その仕事をする機械 $P$ があるとしよう。$P$ はプログラム $M$ の記述と入力 $x$ を受け取り、つねに有限の時間でこう答える。 $$P(M,x)=\begin{cases}\text{「止まる」}&M\text{ が入力 }x\text{ で止まるとき},\\ \text{「止まらない」}&M\text{ が永遠に動くとき}.\end{cases}$$$P$ を使って、新しい機械、あまのじゃくの $D$ をつくる。$D$ はプログラム $M$ の記述を受け取り、次のように動く。 $M$ が自分自身の記述を入力として受け取ったらどうなるかを $P$ に尋ねる。 $P$ が「止まる」と言ったら、$D$ は無限ループに入る。 $P$ が「止まらない」と言ったら、$D$ は停止する。 ここで致命的な問いが来る。$D$ が自分自身の記述を受け取ったら、どうなるか。 $D(D)$ が止まるなら、$P$ は $D(D)$ について「止まらない」と答えたことになり、$P$ はまちがえた。 $D(D)$ が止まらないなら、$P$ は「止まる」と答えたことになり、$P$ はやはりまちがえた。 どちらにしても $P$ はまちがえる。したがって機械 $P$ は存在しない。$\blacksquare$

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ネイピアの二つの点:対数の定義

ネイピアは、今日私たちが使う指数の記法をもっていませんでした。対数を定義するために彼が使ったのは運動の像で、それはニュートンとライプニッツが微積分を生み出すよりずっと前のことでした。 定義 二つの点が同時に出発すると考えます。一つ目の点 $P$ は長さ $10^7$ の線分 $AB$ を進み、各瞬間の速さは $B$ までの残りの距離に等しい。はじめは速く、しだいに遅くなり、決して到着しません。二つ目の点 $Q$ は果てしない直線を、いつも $P$ の最初の速さで進みます。 $P$ が $B$ から距離 $x$ のところにあるとき、$Q$ が進んだ距離が $x$ の対数である。 この対話型の図を使うには JavaScript を有効にしてください。議論の全体は本文にあります。 なぜ $10^7$ なのでしょうか。ネイピアが求めたのは、天文学や航海で使われる正弦の対数でした。当時の正弦は 0 と 1 のあいだの数ではなく、分数を避けるため、大きな半径の円の半弦の長さでした。ネイピアは半径を $10^7$ にとったので、正弦は最大 8 桁の整数になりました。 今日の計算 微積分を使うと、この定義は微分方程式になります。$P$ の残りの距離を $x(t)$ とすると、速さは $-x'(t)=x(t)$、$x(0)=10^7$ です。解は $$x(t)=10^7e^{-t}.$$点 $Q$ は一定の速さ $10^7$ で進むので、$y=10^7t$ だけ進みます。$t$ を消すと $$\boxed{\operatorname{NapLog}(x)=10^7\ln\frac{10^7}{x}.}$$たとえば $P$ がちょうど半分まで来たとき、$x=5\,000\,000$ で $$\operatorname{NapLog}(5\,000\,000)=10^7\ln2\approx6\,931\,472.$$ネイピアの対数は $x$ が大きくなると小さくなり、$\operatorname{NapLog}(10^7)=0$ であることに注意しましょう。公式の中には数 $e\approx2.71828$ が隠れています。それに名前がつくのは一世紀以上あと、オイラーによってでした。ネイピアは一度もこの数を書きませんでしたが、彼の対数は、目盛りを別にすれば、$1/e$ を底とする対数なのです。 積が和になる 公式から、表を役に立つものにした性質が出てきます。$\ln$ は積を和に変えるので、

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群とは何か:三角形の六つの対称性

紙で正三角形を切り抜き、角に 1、2、3 と番号をつけ、机に描いたその輪郭の上に置いてください。三角形を持ち上げて、ちょうど同じ輪郭をおおうように戻すやり方は何通りあるでしょうか。 六通りです。何もしないこと。$120°$ か $240°$ 回すこと。あるいは、三本の軸のどれかのまわりで三角形を裏返すこと。それぞれの軸は一つの角と向かいの辺の中点を通ります。 正三角形の六つの対称性。数字は、それぞれの角がどこに行ったかを示す。e は何も動かさず、r は時計回りに 120° 回し、r² は 240° 回し、s₁、s₂、s₃ は破線の軸について三角形を裏返す。Euler’s Eyes 作図 何もしない動きを $e$、回転を $r$ と $r^2$、裏返しを $s_1, s_2, s_3$ と呼びます。$s_1$ は縦の軸、$s_2$ は右下の角を通る軸、$s_3$ は左下の角を通る軸についての裏返しです。 対称性の九九 二つの動きを続けて行うと、結果はつねに六つのうちのどれかです。たとえば $120°$ を二回回すと $240°$ 回したことになります。$r$ のあとに $r$ をすると $r^2$ です。三回回すと最初に戻ります:$r^3=e$。「$a$ をしてから $b$ をする」を $a\star b$ と書きます。紙の三角形ですべての組を試すと、完全な表が得られます。 $a\star b$ $e$ $r$ $r^2$ $s_1$ $s_2$ $s_3$ $e$ $e$ $r$ $r^2$ $s_1$ $s_2$ $s_3$ $r$ $r$ $r^2$ $e$ $s_2$ $s_3$ $s_1$ $r^2$ $r^2$ $e$ $r$ $s_3$ $s_1$ $s_2$ $s_1$ $s_1$ $s_3$ $s_2$ $e$ $r^2$ $r$ $s_2$ $s_2$ $s_1$ $s_3$ $r$ $e$ $r^2$ $s_3$ $s_3$ $s_2$ $s_1$ $r^2$ $r$ $e$ 行が最初の動き、列が二番目の動きです。紙で一つのます目を確かめてみましょう。$120°$ 回すと、角 1 は右下へ、角 3 は上へ行きます。次に縦の軸について裏返すと、角 3 は上にとどまり、下の二つが入れ替わります。左下にあった角 2 は右下に来て、最初にあった場所に戻ります。これが $s_2$ の効果です:$r\star s_1=s_2$。

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二項級数と悪魔の級数

発散級数は悪魔の発明であり、それをもとにどんな証明であれ組み立てるのは恥である。 — ニールス・ヘンリック・アーベル、ホルンボエへの手紙(1826 年 1 月) 1665 年、若きニュートンは、二項定理が整数でない指数でも成り立つことを発見しました。 $$(1+x)^m=1+mx+\frac{m(m-1)}{2}x^2+\frac{m(m-1)(m-2)}{6}x^3+\cdots$$$m$ が正の整数なら、和は $m+1$ 項で終わります。$m=\frac12$ や $m=-1$ では決して終わりません。無限個の項をもつ和、すなわち級数になるのです。ニュートンもオイラーも、18 世紀のすべての数学者が、この級数を使って大きな成功を収めました。それがいつ成り立つのかを問うた人は、ほとんどいませんでした。 アーベルはまだ学校にいたころにこの級数に出会いました。16 歳のとき、オイラーによる二項定理の証明が有理数の指数でしか成り立たないことに気づき、それをすべての数に広げようとしました。八年後、ベルリンで、彼ははるかに厳密にこの問題に戻ってきました。 級数がだますとき $m=-1$ としましょう。級数は $$\frac1{1+x}=1-x+x^2-x^3+x^4-\cdots$$を与えます。$x=\frac12$ では左辺は $\frac23$ で、右辺 $1-0.5+0.25-0.125+\cdots$ はたしかに $0.666\ldots$ に近づきます。しかし $x=1$ では右辺は $1-1+1-1+\cdots$ となり、$1$ と $0$ の間を行ったり来たりして決まりません。一方、左辺は $\frac12$ です。オイラーは和が $\frac12$「である」と認めていました。$x=2$ ではもっと悪くなります。左辺は $\frac13$ なのに、右辺 $1-2+4-8+16-\cdots$ は限りなく大きくなるのです。 部分和がどの数にも近づかない級数を発散級数といいます。18 世紀の数学者たちはこうした級数を自由に扱い、ときにばかげた結果に達しました。フランスではコーシーが 1821 年、『解析教程』で秩序を立て直し始めました。アーベルはパリでコーシーを読み、さらに先へ進みました。 アーベルの証明 1826 年の『クレレ誌』の論文で、アーベルは二項級数を完全に厳密に調べました。指数 $m$ は任意で、複素数でもよく、$x$ も任意です。彼は $|x|<1$ のとき級数が $(1+x)^m$ に収束することを証明し、端である $|x|=1$ で何が起こるかを正確に述べました。ニュートンの級数についてこれをしたのは、彼が初めてでした。 区間の内側では、級数はとてもよく働きます。$m=\frac12$ のとき係数は $1,\ \frac12,\ -\frac18,\ \frac1{16},\ -\frac5{128},\dots$ で、 $$\sqrt{1+x}=1+\frac x2-\frac{x^2}8+\frac{x^3}{16}-\frac{5x^4}{128}+\cdots$$$\sqrt{1.2}$ を求めるには $x=0.2$ として、

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ナッシュ均衡:だれも一人では得をしない

均衡点とは、ほかのプレイヤーの戦略を固定したとき、各プレイヤーの混合戦略が自分の利得を最大にするような n 組である。 — ジョン・ナッシュ、米国科学アカデミー紀要(1950) 1944 年、ジョン・フォン・ノイマンと経済学者オスカー・モルゲンシュテルンは『ゲームの理論と経済行動』を出版しました。トランプ遊び、戦争、市場といった戦略的な決定を数学に変える大著です。フォン・ノイマンの大きな結果は、二人のゼロサム・ゲーム、つまり一方の得が他方の損になるゲーム、たとえばチェスやポーカーに当てはまるものでした。しかし人生の大部分はそうではありません。貿易協定でも、交渉でも、交通でも、両者がいっしょに得をすることも、いっしょに損をすることもあります。 1949 年、21 歳の学生が、どんなゲームにも、何人のプレイヤーにも使えるアイデアを見つけました。 アイデア ゲームでは、各プレイヤーが戦略を選び、各自の結果は全員の選択によって決まります。ナッシュ均衡とは、ほかの人が戦略を変えないとき、どのプレイヤーも一人で戦略を変えて得をすることができないような戦略の組み合わせです。 記号で書きましょう。$s_i^*$ をプレイヤー $i$ の戦略、$s_{-i}^*$ をほかの人の戦略、$u_i$ をプレイヤー $i$ の利得とすると、 $$\boxed{u_i(s_i^*,s_{-i}^*)\geq u_i(s_i,s_{-i}^*)\quad\text{すべてのプレイヤー }i\text{ とすべての戦略 }s_i\text{ について}.}$$均衡では、各自がほかの人のしていることを前提にして、できる最善のことをしています。だれも自分の選択を後悔しません。 広場かカフェか アナとブルーノは午後に会う約束をしましたが、場所を決め忘れ、二人とも携帯電話を持っていません。それぞれ広場かカフェに行けます。二人ともカフェのほうが好きですが、いちばん大事なのは会えることです。利得(先がアナ、後がブルーノ)は次のとおりです。 アナ / ブルーノ 広場 カフェ 広場 (2, 2) (0, 0) カフェ (0, 0) (3, 3) それぞれの組み合わせを調べましょう。(カフェ、カフェ)で、アナが一人で広場に変えると 3 から 0 になります。ブルーノも同じです。だれも変えたくない:均衡です。(広場、広場)でも、一人で変えるとそれぞれ 2 から 0 になります。これも均衡です! 一方(広場、カフェ)では、アナはカフェに行けば得をするので、均衡ではありません。 このゲームには均衡が二つあり、一方は両者にとってもう一方よりよいものです。ナッシュの概念はどの組み合わせが安定かを教えてくれますが、そのどれが起こるかは教えてくれません。実際には、慣習や習慣、二人がいつも行く場所が決めます。 囚人のジレンマ ナッシュの論文と同じ 1950 年、ランド研究所の二人の研究者メリル・フラッドとメルヴィン・ドレシャーが、このアイデアを試すためのゲームを考え、数学者アルバート・タッカーがそれを二人の囚人の物語として語りました。警察が二人の共犯者を逮捕し、別々の部屋で取り調べます。それぞれ黙秘するか、相手を自白で売るかを選べます。刑期(年)は次のとおりです。 A / B 黙秘 自白 黙秘 (1, 1) (10, 0) 自白 (0, 10) (5, 5) 囚人 A の立場で考えましょう。B が黙秘するなら、A は黙秘で 1 年、自白で 0 年:自白のほうがよい。B が自白するなら、A は黙秘で 10 年、自白で 5 年:やはり自白のほうがよい。B が何を選んでも、A にとっては自白のほうがよいのです。 同じ推論が B にも当てはまります。ナッシュ均衡は(自白、自白)ただ一つで、それぞれ 5 年です。

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土星の環は固体ではありえない

したがって、存在しうる唯一の環の系は、たがいにつながっていない無数の粒子からなり、それぞれの距離に応じた異なる速さで惑星のまわりを回るものである。 — ジェームズ・クラーク・マクスウェル『土星の環の運動の安定性について』(1859) 1610 年、ガリレオは望遠鏡で土星を見て、この惑星には「耳」があると思いました。1655 年、ホイヘンスはそれが惑星にふれない薄く平らな環であることに気づきました。それから二百年たっても、環が 何で できているのかはわかりませんでした。レコード盤のような固い円盤なのか。液体なのか。石の雲なのか。 1855 年、ケンブリッジ大学はこの問いを アダムズ賞 の題にしました。海王星の存在を予言した天文学者ジョン・クーチ・アダムズをたたえてつくられた賞です。応募者は、どんな環なら安定していられるかを明らかにしなければなりませんでした。当時 24 歳のマクスウェルはこの問いに二年を費やしました。応募したのは彼ひとりでした。 環の上のケプラー 円軌道を回るどんな物体についてもわかっていることから始めましょう。質量 $M$ の惑星の重力が向心力になります。 $$\frac{GMm}{r^2}=\frac{mv^2}{r}\quad\Longrightarrow\quad v=\sqrt{\frac{GM}{r}}.$$遠いほど遅いのです。これはケプラーの第三法則で、惑星は太陽のまわりでこれにしたがっています。土星では $GM\approx3.79\times10^{16}$ m³/s² です。主な環は、惑星の中心から約 74 600 km から約 136 800 km まで広がっています。すると、 土星の中心からの距離 軌道速度 一周の時間 74 600 km(内側のふち) 22.5 km/s 5.8 時間 92 000 km 20.3 km/s 7.9 時間 117 600 km 18.0 km/s 11.4 時間 136 800 km(外側のふち) 16.7 km/s 14.3 時間 内側のふちは 6 時間たらずで一周し、外側のふちは 14 時間以上かかります。 固体の環ではだめな理由 かたい円盤では、どの点も同じ時間で一周します。円盤は車輪のように全体で回るのです。だから各点の速さは距離とともに 大きくなり、$v=\omega r$ となります。ところが重力は速さが 小さくなる こと、$v=\sqrt{GM/r}$ を求めます。すべての点で両方を同時に満たす方法はありません。

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『解析力学』:図のない本

1687 年のニュートンの『プリンキピア』を開くと、ほとんどすべてのページに図があります。三角形、楕円、矢印、接線。百年後の 1788 年に出版されたラグランジュの『解析力学』を開くと、図は一枚もありません。著者自身が序文でそのことを誇らしげに予告し、こう付け加えています。 解析を愛する人びとは、力学が解析の新しい一分野になるのを喜んで見るだろうし、私がこうしてその領域を広げたことに感謝してくれるだろう。 — ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ『解析力学』序文(1788) 『解析力学』(Méchanique analitique)初版の扉、パリ、1788 年。Joseph-Louis Lagrange · Wikimedia Commons · パブリックドメイン この本はベルリンで書かれ、ほとんど完成した状態でパリに持ちこまれました。これほどむずかしい論文にお金を賭けようという出版社はなく、ある書店を説きふせて出版させ、校正刷りに目を通したのは若いアドリアン=マリ・ルジャンドルでした。印刷された本が届いたとき、ラグランジュは気分のふさいでいた時期で、二年間それを開かなかったといわれています。 力のやっかいさ ニュートンの力学では、物体がどう動くかを知るには、それにはたらくすべての力を書き出し、矢印のように足し合わせなければなりません。たとえば振り子には、重さと糸の張力がはたらきます。重さはかんたんですが、張力はそうはいきません。それは時々刻々と変わり、前もってだれにもわかりません。おもりを糸につないでおく役目しかないのに、それでも運動にたどりつくには、まずそれを計算しなければならないのです。 ラグランジュは、こうした束縛の力がそもそも現れない方法をほしがっていました。 すべてを一つの関数で ラグランジュの考えは、系を自由に選んだ座標、いちばん自然なもので記述することでした。振り子なら、一つの数で十分です。糸が鉛直線となす角 $\theta$ です。次に、その座標を使って二つのエネルギーを書きます。 $T$:運動のエネルギー(今日いう運動エネルギー) $V$:位置によってたくわえられたエネルギー(今日いう位置エネルギー) そして、今日ラグランジアンと呼ばれる一つの関数をつくります。 $$L=T-V.$$本当の運動は、オイラー=ラグランジュ方程式を、$x$ のかわりに時間 $t$ で満たすものです。 $$\frac{d}{dt}\frac{\partial L}{\partial\dot q}-\frac{\partial L}{\partial q}=0.$$ここで $q$ は座標、上に点のついた $\dot q$ はその速度で、ニュートンの記法です。これはレシピです。$L$ を書き、微分し、ゼロとおく。図も矢印もありません。 最初のテスト:自由落下 高さ $h$ にある質量 $m$ の物体では、運動のエネルギーは $T=\frac12m\dot h^2$、たくわえられたエネルギーは $V=mgh$ です。よって $$\begin{aligned}L&=\tfrac12m\dot h^2-mgh,\\ \frac{\partial L}{\partial\dot h}&=m\dot h,\qquad\frac{\partial L}{\partial h}=-mg.\end{aligned}$$方程式は $m\ddot h+mg=0$、つまり $\ddot h=-g$ となります。物体は一定の加速度 $g$ で落ちる。矢印を一本も描かずに、ガリレオの法則がふたたび得られました。