数える、言う、書く
残っているもっとも古い書かれた数学は、刻み目のついた骨である。イシャンゴの骨は 1950 年に、コンゴ民主共和国とウガンダの国境にあるエドワード湖のほとりで見つかった。およそ二万年前のもので、三列に分かれた平行な刻み目の群れが彫られている。それが何を数えていたのか、確かなことはだれにも分からない。しかし考え方ははっきりしている。ひとつのものにひとつの印である。
第2章のことばで言えば、刻み目はイコンである。五本の刻み目は五匹の羊に似ている。少なくとも数において。だからこの書き方は教える必要がない。見ればわかる。代償は長さだ。千を書くには、千本の刻み目がいる。
ひとつの数の三つの表し方
いま私たちが書く数は、刻み目の正反対である。数字 $3$ は三つのものに似ていないし、$304$ の中の $3$ が三百を表すのは、第1章で見たように、それが三番目の位にあるからにすぎない。数えることを学ぶ子どもは、たがいに少しも似ていない三つの表し方を結びつけなければならない。
- 見たり触ったりできる量
- 話しことばの数詞、ポルトガル語なら「トレゼントス・イ・クアトロ」(三百と四)
- 書かれた数字、$304$
数詞と数字は文法がちがう。話しことばはかたまりを足す。三百、と、四。書きことばは数字を位に置く。$0$ は十の位を占めるが、ポルトガル語や英語の話しことばはそれに触れもしない。子どもが聞いたとおりにかたまりごとに書くと、$3004$ になる。「三百」の $300$ のあとに「四」の $4$ が続くのである。
この誤りには名前があり、転記の誤りと呼ばれて、多くの国で研究されてきた。それは系統的である。話しことばが空いた位を隠す数にこそ現れ、子どもが「ひとつの位にはひとつの数字、ただひとつだけ」と理解すると、ほとんど消えてしまう。不注意ではない。話しことばには通用し、書きことばには通用しない規則を、忠実に当てはめた結果なのである。
助ける言語とじゃまをする言語
ポルトガル語では、十一から十五までの名前は不透明である。onze は「十と一」とは言わない。英語の eleven や twelve はさらに不透明だ。フランス語では $97$ を quatre-vingt-dix-sept、「四つの二十、十、七」と言う。ひとつの語の中に計算がまるごと入っている。二十ずつ数えた時代の名残である。
中国語と日本語では、名前が書き方にそっている。十一は「十一」、九十七は「九十七」。位取りの構造がことばの中にある。比較研究の中には、たとえば 1980 年代の終わりにイリーン・ミウラらが行ったもののように、東アジアの子どもが同じ年齢のアメリカの子どもより早く、ブロックで十の位と一の位を表せるようになることを見いだしたものがある。ちがいは言語だけによるのではない(学校や家庭の影響も大きい)。それでも、話しことばの数詞が数字を読むのを助けもすれば、じゃまもすることがわかる。
練習:誤りを読む
先生がポルトガル語で quinhentos e sete(「五百と七」)と読み上げると、ある子どもは $5007$ と書き、dois mil e dez(「二千と十」)と読み上げると $200010$ と書く。この子はどんな規則に従っているのだろうか。
話しことばのかたまりを、それぞれひとつの完全な数として書き、それらをつなげている。$500$ のあとに $7$ で $5007$、$2000$ のあとに $10$ で $200010$ である。規則は一貫しているので、誤りはくり返される。欠けているのは、$7$ が $500$ の横に並ぶのではなく、$500$ の一の位を占めるという考えだ。$500+7=507$、同じように $2000+10=2010$ である。
練習:計算をしてくれる数詞
フランス語では $80$ は quatre-vingts(「四つの二十」)、$99$ は quatre-vingt-dix-neuf である。$99$ のことばにはどんな計算が隠れているか。$77$ はどう言うだろうか。
$99 = 4 \times 20 + 10 + 9$ である。$77$ については $77 = 60 + 17$ で、フランス人は soixante-dix-sept、「六十、十、七」、つまり $60 + 10 + 7$ と言う。これらの数を書けるようになろうとする人は、ひとつ聞くたびに、かけ算を一回と足し算を二回しなければならない。